※2010年1月31日のYahoo!ブログを再掲
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バーゼル問題などを扱った数学ガール(感想文08-44)、そして、数学ガール/フェルマーの最終定理(感想文08-57)に続く、数学ガールシリーズ第三弾。
今回は、ゲーデル(1906~78)の不完全性定理。そうか、ゲーデルさんはぼくが生まれた年に亡くなったんだ。
ぼくは、この本を読むまで、不完全性定理の存在を知らなかった。そして、この本を読んで、存在を知ったが、数学的な意味は全く分からなかった。
数学ガールは、どんどん難易度が上がっていて、第二弾のフェルマーの最終定理で既に理解不能だった。不完全性定理はさらに理解不能。何度も読み返したけれど、ぼくの脳みそで処理できる容量を早い段階で超えていた。
すごいね、数学者。心底尊敬する。
不完全性定理はさておき、印象に残ったことをメモしておこう。
有限集合において全単射(ググって下さい)が存在したら、二つの集合の要素の数は等しい。
それを無限にしたらどうなるか。自然数(1、2、3・・・)と平方数(1、4、9・・・)で全単射はできるけれど、平方数は自然数の一部だ。ということは、無限集合だと、全単射で要素の個数が等しいとは言えなくなってしまう。
ここで、ガリレオは日和って引き返した。ガリレオは近代科学の父と呼ばれ、偉人扱いされているけれど、一方で、だからこそちょっとダメな逸話があると、こうやってすぐに引き合いに出されてしまう。
天体の軌道は完全な円でなければならないと思い込んでいたとか、「それでも地球は動いている」なんてことは言ってなかったとか、パトロンに非科学的な占星術でおべっか使ってたとか。
そんな愛されているガリレオはさておき、無限集合の全単射について、デデキント(1831~1916)らは、ガリレオのためらいを超える。『無限とは、全体と部分との間に全単射が存在するものである』という素晴らしい逆転の発想だ。
数学的に分かった気がしたのは、この辺まで。ペアノの公理、ワイエルシュトラスのイプシロンデルタ論法、カントールの対角線論法なんかも、言わんとすることはまあ分かるけれども、噛み砕いて自分のものにして、このブログで紹介できるほどは理解できていない。
数学を数学するとか、形式的体系をゲーデル数に変換して処理するとか、メタ化とか、まあ分からんこっちゃないけれど、本当に数学的に理解はできていないので、書かない。余計なことを書いてしまうと、それだけで数学的偉業を貶めてしまう気がするからだ。
うん。数学ガールを読んで、数学が理解できなかったら、何が残るか。そう、「萌え要素」だ。
相変わらず主人公は、モテやがる。ツンデレな同級生のミルカさんに、元気印下級生のテトラちゃんに、いとこのユーリから、求愛される。
数学的なもやもやと萌え萌えが渾然一体となる希有な本。
何だか怒りが沸いてきた。どこにぶつけていいか、さっぱり分からないけれど・・・。
ぐぬぅ。
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(感想文の感想など)
ゲーデルの不完全性定理について改めてちゃんと理解したい。かの有名なゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環という分厚い本にもいつか挑戦したいが、どうだろうな。