※2015年3月27日のYahoo!ブログを再掲
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作者の朝井リョウさんは1989年生まれの小説家。超若い。朝井リョウさんの作品は初めて読む。世代が違うアラフォーおじさんの私は果たしてついていけるだろうか。
本書のテーマというか舞台は、就職活動。
同様のテーマの小説といえば、石田衣良さんのシューカツ(感想文09-28)と羽田圭介さんのワタクシハ(感想文13-61)が思い出される。
両方とも就職活動にまつわる不条理や欺瞞性を表現している。オトナとコドモの境界線上にある甘酸っぱさとビターさがないまぜになるのが就活小説の特徴と言えるだろう。文学部とか社会学部だったら就活と小説とかというテーマで何か書けるのではなかろうか。既にありそうかな。
これまでの就活小説の違いは何かというと、そこにツイッターやSNSが登場することだろう。そして、面倒くさい意識高い系の人物も登場する。
読後感に、これまでの甘酸っぱさとビターさに加えて、痛さ、痛々しさも追加されている。人間関係が実際に顔を合わせる身近な関係だけでなく、リアルタイムで更新されるつぶやきが加わり、さらに匿名としての裏アカウントによる本音が示されるなど、とにかく複雑で面倒くさい状況になっている。
若い人は共感するのだろうか。おじさんには分からない。ツイッターとかしないし。FBは生きているという生存証明のためでしかない。このブログは地味すぎて社会的影響力はゼロに等しい。
げに恐ろしいのは社会的承認欲求の強さだ。正社員として就職することは、社会的承認の第一歩となる。誰もが知っている大企業に就職できると、社会的に承認される。人格全てが肯定される。
目的があって大企業で働くのではなくて、承認されたくて大企業に就職したがる若者が多いのではないだろうか。それは結局は、承認する親の世代が大企業正社員という幻想に囚われられているからとも言える。
うーむ、考えれば考えるほど就活というのは不幸な仕組みに思えてくる。もっと労働市場の流動性が高くなると現在の一括採用システムはなくなるだろう。
「働くこと」にまつわる問題は多彩で多様で移ろいやすく捉えにくい。
そういえば、朝井リョウさんは就職活動したのだろうか、と思ってウィキペディアを見ると『『何者』は初めて営業の新入社員として仕事をしながら、通勤前と帰宅後に執筆した』とある。なんとまあ。偉いなぁ。
ちなみにこの作品で直木賞を受賞している。知らなかった…。他の作品も読んでみようかな。
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(感想文の感想など)
「何者」以降、朝井リョウさんの本をどんどん読んでいったのだった。これが最初だったのか。
就活と社会的承認欲求を結びつけたという点がユニークかつ斬新だった。
とはいえ、今となっては承認されたくて大企業に就職したがる若者ってのはあんまりいないかもね。どこに属しているかってそんなに重要ではなくなってきた感はある。