本書は久しぶりの海外出張となったドイツに向かう機内で読んだ。久しぶりの朝井リョウさんの小説。
感想文を書くまでにかなりの時間が空いているので、新鮮な読後感が残っていない状態での文章になる。
本作の主人公は尚吾と紘の二人。大学時代に同じ映画サークルに所属し、一緒に作った作品が新人の登竜門となる映画祭でグランプリを受賞する。卒業後に尚吾は名監督に弟子入り、紘は映像をYouTubeにアップして話題となり、対照的な道を進むことになった二人の姿が描かれている。
膨大な数の動画が毎日投稿されシェアされる世の中になり、カメラや動画編集のテクノロジーは進展し、簡単に誰もが動画投稿の世界に参入できるようになってきている。
一方で、私自身は映像の世界について全然詳しくない。カッコいい動画を撮ることはできないし、そういうことをしたい、達成したいという意欲もない。同時に、この動画がカッコいいかどうかを評価できる審美眼も持ち合わせていない。
とはいえ、対照的な道を歩んだ二人のセリフにあるように、
紘のセリフ
「どんな人でも何かを発信できるようになったとして、受信するのはいつでも変わらず人の心なんです。発信が時代と共にどんな風に変わっても、受信はいつでも人の心なんです<後略>」(p.283)
尚吾のセリフ
「さっきも言ったように、作品の向こう側にはいつだって人がいて、心がある。だけどそれは、作品を受ける側だけじゃなくて作り出す側にもいえることだ。こちら側にも人がいて、心がある。そのことを忘れて、受け手の変化に順応することを優先していたら、全員で速度を上げ続ける波に呑まれることになる」(p.298)
作り手と受け手の心に言及していく。審美眼のない私でも確かに心は動く。よくこんな瞬間を撮れたなと感動する時もあれば、ドローンなどで見たことのない風景を映し出しているのを見て驚く。
若い二人はそれぞれ思い悩むが、
ここ、っていうときに過る顔が、自分の行動を決めてくれること、確かにあるよな。(p.340)
という文章にはっとさせられる。自分自身の行動を決めるのは自分自身だけれど、過る顔が諫めたり、思いとどめたり、あるいは後押ししてくれる。
映像でも何でも、何かを生み出すのは楽しくもあり、苦しくもある。若いクリエータ2人が悩みながら成長していく姿が、40半ばのおじさんには羨ましく映る。
本作は、朝井リョウさん作家生活10周年の新作とのこと。いつも若々しい作品を生み出せる朝井さんの才能に脱帽するほかない。