40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文23-17:正欲

 

スター(感想文23-13)以来の朝井リョウさんの小説。タイトルは以前から知っており、本屋で文庫版になっているのを発見し購入。

人が持つ性的対象の複雑さ、ややこしさ、ままならなさを描いている。

多様性、という言葉が生んだものの一つに、おめでたさ、があると感じています。(p.8)

多様性の中に含まれない多様性があり、その存在を想像しようともしない。それがおめでたさと表現している。

夏月は思う。既に言葉にされている、誰かに名付けられている苦しみがこの世界の全てだと思っているそのおめでたい考え方が羨ましいと。あなたが抱えている苦しみが、他人に明かして共有して同情してもらえるようなもので心底羨ましいと。(p.242)

ホモとかヘテロとかの範囲での苦しみへの共有や同情はあるが、名前のついていない概念は存在しないに等しく、他者からの理解に諦観し、絶望していく。

性的対象は、ただそれだけの話ではない。根だ。思考の根、哲学の根、人間関係の根、世界の見つめ方の根。遡れば、生涯の全ての根源にある。そのことに多数派の人間は気づかない。気づかないでいられる幸福にも気づかない。(p.246)

性的対象=根とする説明にはっとする。私は多数派なのだろうか。そんなことを考えも悩みもしなかったのできっと多数派なのだろうし、苦しまなくていい幸福を甘受していることにも気づいていないうちの一人だ。

臨床心理士の東畑開斗さんの解説からも引用しておこう。

正欲は破壊的で、暴力的なのだ。それは他者を傷つけ、自己を見失う。いや、それだけじゃない。正欲が厄介なのは出口がないことだ。正欲を批判するのもまた正欲であるように、多様性には多様性を否定する多様性の場所がなく、寛容は不寛容に対しては不寛容にならざるをえない。呪いのようだ。私たちは正欲の外に出ることができず、誰かを傷つけることから逃れることができない。(p.505)

みんな違ってみんないいくらいのコンセプトだったはずの多様性が、いつの間にか「正しさ」とタッグを組むようになり、権威化され、「正義」を身にまとい、今となっては他者を攻撃する根拠になってしまっている。

ポリコレや多様性を謳う人は、攻撃的で不寛容で独善的…そんなイメージすら付きまとう。考えを強要したり、否定したりする人の姿を見ると、距離を取りたくなる。自己矛盾に陥っていても自分たちが正義の側であれば批判など気にも留めない。

そして、出口のない正しい性欲である「正欲」が呪いになってしまう

「自覚しているもんね。自分たちが正しい生き物じゃないって」(p.198)

正しい生き物って何だろう。狭量な正しさに苛まれる人たちの存在をどこまで想像できるだろうか。そして、そういった人たちに私たちに共通する概念は何だろうか。性欲でも多様性でも寛容さでもない。

本書では「愛」へと至る。正しさではなく、「愛」について私たちはもっと深く考え、共有しなければならないのだろう。愛は愛でしんどいのだろうけれど。でも愛以外に救いはないのかもしれない。