40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文24-09:黄色い家

 

夏物語(感想文23-09)に続く、川上未映子さんの小説。珍しくハードカバーの本を購入した。

読み終わってから感想文を書くまでにかなりタイムラグがあるので、読後感と記憶がだいぶ薄らいでいるけれど、さらっと何か残しておきたい。

本書はタイトルの通り「黄色」が鍵になっている。

中身をめくると、風水には黄色の金運以外にも、健康とか家族運とか転職とか出会いとか恋愛とか結婚とか、いろいろな効能があるらしかった。でも、わたしに、わたしと黄美子さんに必要なのは金運だけだった。それのみだった。ほかの色はいらない。必要ない。わたしらはこのまま黄色一本でいくぞと決意もあらたに、強い気持ちで本を戻した。(144)

黄色は風水での金運を意味しており、そして主人公の花はとにもかくにも黄色=金だけを追い求めていく。金を稼ぐ喜び、失う絶望感、金の存在がもたらす安心感。次第に金に依存し、金に振り回されていく。

金はいろんな猶予をくれる。考えるための猶予、眠るための猶予、病気になる猶予、なにかを持つための猶予。(488)

貧困つまりは金がないってことだが、金がない=貧しいってことは、突き詰めれば猶予がないってことだ。貧すれば鈍するという残酷極まりない真実を、本書を通じて読者はまざまざと見せつけられる。そして貧困のスパイラルから抜け出せなくなる。

金。金を集めていた。誰かが望むものに速やかに形を変えるもの。自分や大事な人を守り、満たし、時間と可能性そのものになるもの。未来、安心、強さ、怖さ、ちから<中略>わからない。今わたしが見つめているこれは、いったいなんなのだ。(545)

しかし、金とはいったい何なのか。猶予を与えてくれるが、過剰な金は、過剰な猶予は、また違った側面を映し出す。他者を屈服させる力にもなり、それが恐怖を生み出す。金は人を変えてしまう。少なすぎても多すぎても。

某日本人メジャーリーガーの通訳がとてつもない金額を横領なのか窃盗なのかわからないけれど、とにかく違法賭博に使っていたことが明るみになり、大きな話題になった。これも多額すぎる金が人を変えてしまった事例かもしれない。ちょっとスケール大きすぎるけれど。

マンガ美味しんぼで出てくる有名なセリフ「いいかい学生さん、トンカツをな、トンカツをいつでも食えるくらいになりなよ。それが、人間えら過ぎもしない貧乏すぎもしない、ちょうどいいくらいってとこなんだ。」を思い出す。

確かに言いえて妙だと思う。貧乏すぎず、逆に偉すぎもしない人生を歩みたいものだ。ただ、年を取るとお金があってもトンカツを食べられない体になっていくのは悲しいのだけれど、それはまた別の話。若いうちにトンカツを食べたいときに食べられるくらいの金銭的余裕が欲しい。

私は幸運にも金に困った生活を現時点では送ってはいない。金のかかる趣味はないし、どうしても買いたい高額商品もない(今欲しい最も高い商品はホットクックだ)。妻も金を使わない。子供が2人私立の学校に通っているので、きっとそこに金はかかっているのだと思うが、学費がいくらかかっているのかさっぱり知らない。

とにかく金に苦労する人生は送りたくない。逆に金がありすぎて自衛を強化したり、自由度が減るような事態も避けたい。ただ私が金に強く執心してないのは、育ってきた家庭環境がそうしているのだし、それは本当に幸運だったと思う。

他方で貧しい人を救う手立ては何かないものかとも思う。何か具体的にアクションできているわけではないけれど。貧困は猶予がないためにスパイラルを引き起こす。まともな教育を受けられず、健康を維持できず、犯罪に手を染める場合もある。

途方もない額を違法賭博に溶かす人間がいると同時に、その日食べるものを買うお金がなく万引きする人間もいる。同じ地球に生きていることが不思議でならない。

ただ、私の身の回りにはどちらのタイプとも接点がない。超金持ちとも超貧乏ともつながってない。金が分断を生み出している。いや分断が金を生み出しているのかもしれない。

金の本質はいったい何だろうか。私が最も苦手としているテーマでもある。たまには金について考えてみるのも良いことかな。