40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文08-25:ルポ貧困大国アメリカ

※2008年5月30日のYahoo!ブログを再掲

 

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ルポっていうのは何とも強烈だ。

フィールドが日常から遠いところにあるほど、鮮明に鋭敏に感じてしまう。悲しいけれど、心のどこかで、自分よりも不幸な人間を捜し、それを知ることで安堵している。

本書は、アメリカの貧困層についてのルポタージュ。いかに貧しく、苦しい生活をしているか、というだけの話ではない。

むしろ、普通に生活していた人が、病気になったり、進学したりすることで、貧困に陥ってしまうという現実をつぶさに描いている。単純に貧困層の声を集めたというだけでない。その背景にあるモノを描いている。

貧困ビジネス」という言葉がある。

正直、ぼくにはこれまでピンとこなかった。貧しい人を対象にしたビジネス自体が成り立たない。何となく語義矛盾があるようにも思っていた。

(少なくともアメリカの)実態は違った。貧困層を食い物にするビジネスだった。さらにいうと、貧困層を生み出し、甘い誘惑で、低賃金で劣悪な環境下の労働力にする。そのビジネスに政府も加担している。

本書で最も怖くなったのは、戦争と貧困の関係だ。

貧しいが向学意欲のある若者がいる。そういう人間を米軍はリクルートする。軍に所属することで、学費の一部を負担するという甘い誘惑で、若者の心を捉える。戦地に送られるわけはないと若者は思っていたが、事情は違う。イラクに送られ、死と隣り合わせの緊張の中での生活で、PTSDとなったり、肉体的に負傷したりして、本国に戻ってきても、もはやまともな職に就けることはない。

ほかに、派遣会社の話もある。アメリカ国内の貧者、あるいは発展途上国(というよりも最貧国)の人間に、派遣業務を持ちかける。トラックの運転であり、年俸は(本人にとっては)破格の待遇。実際は、戦地で食糧や武器弾薬を運ぶ。戦地に放り込まれる。自分の身は自分で守れと言われる。ある者は死に絶え、ある者は殺され、ある者は命からがら逃げ帰る。

これを「戦争の民営化」と呼ぶ。

戦争にお金がかかる。とはいえ、国策として戦争は必要である。どうする。アンサーは、民間に委託する。経済原理で、コストを抑えて戦争を遂行できる。

しかし、戦争に加わるのは、貧者だ。

ある者は、訓練され、傭兵としての製品になる。ある者は、銃後を支える消耗品となる。

現場で、血を流し、苦しんでいるのは、どちらも貧者だ。人として扱われることのない、武器や食糧と同じ、足りなければ補充される存在だ。

「カネを持っていない」その一点で、「人とみなされない」。

裏返せば、本書のタイトル通り、貧困ビジネスアメリカは成立している、ともいえる。経済原理は、人間を商品として扱うことに躊躇しない。

最後に、本書は日本の憲法についても触れている。よく知られている通り、9条の戦争放棄については議論され、関心を持たれている。

ところが今や、「25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」が脅かされる可能性を指摘している。

最低限度の生活が保障されないと、戦争放棄も何もない。明日の生活のために、戦地に派遣される商品となる人間がいる。日本という国が戦争を放棄していたとしても、そこに住む人間の最低限度の生活が守られないと、他国の戦争に与することもあり得るというのだ。

赤木智弘氏が、「論座」(2007年1月号)に投稿した論文「「丸山眞男」をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」は有名で、それなりに反響を呼んだ。年齢も近いし、同じロスジェネとしては共感する部分もある。この論文は大変重要なメッセージを投げかけている。

一方で思う。「戦争が起きれば社会は流動化する」と言っているけれど、本書を読む限りはむしろ逆ではないかと。「戦争が起きれば社会はさらに固定化する」方が、はるかに蓋然性が高い。

赤木氏にとっての「戦争」は、世の中を一気に変える革命的事件のメタファーだろう。でも現実の戦争は、もはやビジネスとなっている。

HOW RICH ARE YOU?(http://www.globalrichlist.com/ *追記:2023年9月時点では見れない)というサイトがある。年収が世界人口の何%か出てくる。その%に見合うほど、自分自身が有能だとも思えない。他方、%が下の人たちは商品として流通している。それは年収というよりも値段だ。

日本が本書のアメリカのようになってしまわないことを祈る。祈るしかないのかな。

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(感想文の感想など)

現時点で日本はアメリカのようにはなっていない。たぶん。

アメリカはより酷い状況に陥っているように見える。

でも戦争は起きている。

テクノロジーが進んでも世の中が良くなるわけではない。

テクノロジーの発展が無意味というわけではない。人間の本質(ジェノサイドと環境破壊)が変わらないのであれば、結局、科学が進展し、技術が発展しても、殺し合い、環境を破壊し続けるのだろうか。