40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文23-09:夏物語

著者は川上未映子さん。乳と卵(感想文22-23)の続編的な位置付けである本書。冬になる前には読もうと思ったけれど、冬が終わり、花粉が飛び始めた3月にようやく読了した。

前作の豊胸手術卵子の要素に加え、本作ではAID(非配偶者間人工授精:Artificial Insemination by Donor)が登場する。読み進めて意外な展開だなと驚く。

これまで生殖医療についての本を何冊か読んだことがある。生殖医療と家族のかたち(感想文10-80)生殖医療の衝撃(感想文16-32)など。体外受精卵子や受精卵の凍結保存、子宮移植、着床前診断ミトコンドリア置換、代理懐胎については過去に調査したこともあったが、AIDについてそこまで真剣に考えたことがなかった

夏子は性行為をできないが子供を持ちたい、子供に会いたいと願い、悩み、AIDの存在を知る。そしてAIDにより生まれ、遺伝上の父を捜す逢沢と出会う。

夏子と逢沢はともに1978年生まれ。しっかりと本に書かれている。一読者である私と同い年であり、そしてその年は世界初の「試験管ベビー」と呼ばれたルイーズ・ブラウンさんが体外受精で生まれた年でもある。1978年は記念すべき年なのだ(そして2010年に体外受精のパイオニアであるロバート・G・エドワーズはノーベル生理学・医学賞を受賞した)。おそらく意図的に作者は二人の生まれ年を1978年にしたのだと思いたい。

「言葉は通じても、話が通じない。だいたいの問題はこれだと思います。わたしたち、言葉は通じても話が通じない世界に生きてるんです、みんな。」(p.228)

これは夏子の担当編集者である仙川さんのセリフだ。なるほど。言葉が通じることと話が通じることが違うってことは、本当にそう。仕事をしているとつくづく思い知らされる。

運と努力と才能が、ときとして見わけがつかないものであることもわかっている。それに結局のところ—この何でもないちっぽけな自分がただ生きて死んでいくだけの出来事にすぎないのだから、小説を書こうが書くまいが、認められようが認められまいが、本当のところは何も大したことではないのだということもわかっている。(p.124)

私が逢沢さんのことを好きになったからといってそれで何かが変わるわけでもなかった。そもそも私の好きは、どこにも辿り着かず、何にもつながらないひとりよがりな感情なのだ。最初からひとりで、これからもひとりであることはじゅうぶんわかっていることなのに、それでも―わたしはわたしでがんばらなあかんねんなとそう口にしてみると、手を伸ばしたくなるものなんて何ひとつない平坦な場所に、まるでひとりきりで置き去りにされてしまったように感じてしまうのだった。(p.450)

夏子の一人悩みが重い。夏子の思考回路がそういう傾向だってことはわかるけれど、身近におったらあんまり関わりたくないタイプやなと思うてまう。

それでも本書には希望が記されており、その結末や夏子の決断に納得できない人もいるかもしれないけれど、夏子も姉の巻子も娘の緑子も悩み苦しみながら元気に生きていく姿は嬉しいし、ホンマ良かったなぁと関西弁でしんみりする。