40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文15-54:京都ぎらい

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※2015年12月22日のYahoo!ブログを再掲

 

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何を隠そう私は京都出身だ。普段から京都弁どころか関西弁ですら喋っていないので、私が関西出身であることすら知らない人も職場にいる。

出身はどこですかと聞かれたら「関西方面なんですよ」→「関西のどちらなんですか」→「京都です」→「全然、関西弁出ないんですね」→「喋る相手が関西弁なら関西弁になるんですけどね」という流れにたいていなる。これはまあ、平和なトークだ。そこから「京都のどこですか」→「京都駅からわりと近いところなので、交通の便は良いんですよね」みたいに膨らむ場合もある。これも平和。

ややこしいのは、お互い素性をあまり知らない人と出身地の話になり、相手も関西、特に大阪の場合だ。「出身はどこですか」→「関西方面なんですよ」→「え!私も関西でっせ。大阪。そちらは?」→「あ、京都です」ここで微妙な空気になる。そもそも京都と大阪は仲が悪い。

本書の根幹とも関連するが、京都人は京都を特別な場所だと考えている。京都と大阪の仲が悪いのは、京都人が抱えるある種の選民思想が原因だと私は考えている。

そして、さらにややこしいのは、相手も京都だった場合だ。例えば東京で京都出身者が出会うと、京都のどこ出身なのかについて、腹の探り合いが始まる。本書で言うところの、洛中なのか、洛外なのか。さらにお互いが洛中の場合、洛中のどのあたりなのか、そして先祖がいつから住んでいるかというところまで及び、京都人度合いで上下関係を明確化しようとする。

ここまで書いておいて、実にくだらないと辟易するが、ほぼ、こういう茶番を繰り返さないといけない。これはもう京都人のサガなのだ。

本書の著者は、京都府出身だが、京都人ではない。つまり洛外で生まれ暮らす人だ。

ひとことで言えば、洛外でくらす者がながめた洛中絵巻ということになろうか。

とあるように、京都出身者が京都らしい嫌らしさを真正面から取り上げたなかなか貴重な本と言えるだろう。

私は本書を京都出張に向かう新幹線で読んだ。京都出身者にとっては腹を抱えて笑うほど面白い描写もある。そして、ふと気づくのだ。自分が京都人であることの優越感と、そしてより歴史ある洛中に暮らす、生粋の京都人には決してかなわないと知ってしまっているのに、宇治や山科をバカにすることで見てみないふりをしてきた隠された劣等感に。

そうそう、そうなんだよ。存外、京都の人は、中華思想のような京都の偏狭さや、どうでもいい優越感と劣等感に苛まれてしまう愚かさにげんなりしている。端的にはタイトル通り「嫌い」なのだ。

ということで、広い意味での京都の人が描く、京都の嫌らしさについて、気になる箇所を挙げておこう。

日本は、高い水準で、聖職者集団の世俗化を達成させた。超越的な信仰から開放される近代化の度合いは、京都の僧侶がいちばんすすんでいる。

というのは、まあ皮肉なんだけどね。景気が悪くなっても、祇園で遊べるのは金持ち坊主くらい。実際に坊さんが祇園で豪遊している姿を見たことはない(っていうか祇園に行くことがない)けれど、こういう話はよく耳にしている。

寺への納金は、みな宗教的な寄付行為だということになっている。

お寺の写真を雑誌や観光ガイドブックに載せようとしたら、金をとられる。これを志納金というのだそうだ。しかも寄付。きっと税金はかからないのだろう。

京都市との交渉で、寺側は合計三度の拝観停止を、こころみている。なかでも1986年の夏にはじまった第三次拝観停止は、十ヶ月ほどつづけられた。

これは知らなかった。1986年時点では物心ついた子どもだった。寺から税収を集めようとした京都市は、拝観停止という荒業に為す術はなかった。結局、行政は、仏門ならぬ軍門に下ったのだ。

江戸の無血開城明治維新を語ろうとする物言いは、そこから目をそむけている。江戸の身がわりとなって流されただろう会津以北の血を、見ていない。江戸開城の前史をなす京都での争乱も、見すごしている。

フランス革命とちがい、明治維新は無血うんぬんという話に、私はなじめない。日本の近代も残虐な好戦性をともないつつ、民族精神を高ぶらせていった。

明治維新でも多くの血が流された。激動の時代で、混乱も争乱もあった。無血開城という決断は素晴らしいものだが、そのことが日本人の民族性の優越性を示すという論は不適切だろう。

大文字山で松明に日をつけ、「大」の字を夜間に大きくてらしだしている。

これは、夏の風物詩の話、ということではない。大津事件で有名なニコライ2世が日本に来た時に、わざわざ大文字をつけたのだ。五山の送り火はお盆に先祖の霊を送るための宗教的儀式だと小さい頃から教わってきたので、京都外の方から大文字焼きと言われることに違和感があった。イルミネーションのような軽いイベントではないと。

しかし、実情は全く違ったのだ。ニコライ2世のために時期も関係なく、ただ見世物として大を焼く。これを大文字焼きと言わずして何と呼ぶだろうか。これからは大文字焼きと呼ばれても怒ったりしない。権威主義的な見世物として、しっかり利用しているのだから。

伏見の銀座を、一連の地方銀座といっしょにするのは、まちがっている。ここの銀座は、東京の銀座よりもはやくにできていた。日本ではじめに銀座がもうけられた場所は、ほかならぬ伏見である。

へぇ。知らなかった。伏見の銀座が、銀座発症の地だったのだ。

室町通りに焦点のある洛中の優越感は、北朝の隆盛とともにそだっていった。嵯峨のはなやぎは、南朝の衰亡とともに姿をけしていく。鼻を高くした洛中が、嵯峨のひなぶりをあなどりからかう。このならわしは、北朝の勝利がもたらした新しい秩序観に根ざしている。

洛中と洛外の歴史的分岐点は南北朝時代にあった。考えてみると南北朝時代のことをほとんど把握していない。何か良い本ないかな。

これほどまでに京都を気持ちよくこき下ろしている本は貴重で、溜飲が下がる思いだ。こうして京都を離れて15年以上経とうとする今、改めて京都のことを眺めると全く違う姿に見えてくる。不思議なものだ。

どうせ正月には京都に行かないといけないんだよな。久しぶりに嵯峨野の方にも足を伸ばしてみたい。冬は寒いけどね。

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(感想文の感想など)

2020年は文字の交点と先端の6カ所に点火された大文字だったそうだ。珍しいので見てみたかった。

五山の送り火の数日前に、ライトで勝手に大の字を点灯する事件があったが、これはこれで京都の風物詩的な感はある。

そりゃあ怒る方は怒るでしょうけれど、権威主義的な見世物として利用されてきた歴史的事実を鑑みると、そない怒るようなことでもないし、警察がとっ捕まえるという話でもない。

長らく京都に帰っていない。正月には帰れるだろうか。