※2018年3月30日のYahoo!ブログを再掲
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道誉と正成(感想文16-08)以来の安部龍太郎さんの小説。たまにこういう歴史小説を読みたくなる。
歴史と言っても、本書の舞台は2つある。主人公であり、イェール大学の教員である朝河貫一の1932年アメリカ。そしてその父である朝河正澄の1868年からの戊辰戦争だ。
本書は、主人公の朝河貫一が遺品から、父、正澄が二本松藩士として戊辰戦争を戦った記録を発見し、それを元に小説を書くという、小説内小説という構造になっている。
1868年の戊辰戦争、そして1932年の暗殺時代。この2つの時代を対比して描くことで、まさにタイトルのとおり維新の肖像を鮮やかに描く意欲作である。
改めて2つの時代を整理しておこう。
朝河正澄視点の時代:1867年に大政奉還があり、新政府軍である薩摩藩が旧政府軍である二本松藩を悪者にし、屈辱に耐えていたが、ついに我慢の限界を超え、戊辰戦争という内戦が起きた。
朝河貫一視点の時代:1931年9月の満州事変、1932年1月の上海事件により、日本は中国侵略を強引に推し進める。同年2月の血盟団事件(感想文14-17)、5月の515事件、さらには1936年の226事件へとつながり、暗殺政治の時代に突入する。そして太平洋戦争へと突き進む。
2つの時代の共通項は何か。
恐ろしい時代である。国家が海外侵略という不正義をおかし、それに対する反対を封じ込めるために言論弾圧や世論誘導をおこない、国民全体の正義感や道徳感がマヒしていく。そうした閉塞状況に苛立った者たちが、独善的で狂信的なテロリストになっていくのである。
内戦と世界大戦。違いはあれど、どちらも不正義、不道徳、独善的で狂信的。
改めて維新について考える機会になった。京都ぎらい(感想文15-54)が指摘しているように、明治維新は無血革命という言説があるが、そんなのは全くのデタラメだ。それは新政府軍側の勝手な言い草であり、プロパガンダであり、今風に言い換えればフェイク・ニュースだ。
この本を読んで、急激に、維新と軽々に名乗る政党とか西郷隆盛のことが嫌いになった。40歳近くにもなって、すぐに影響を受けるのだから、私も単純なのだが。
本書は改めて、維新や暗殺政治について考える良いきっかけとなったし、また2つの時代を対比することによって新たな視点を得たと思う。あんまり歴史に詳しくない私にとって、こうして2つの時代を比べることで新たな視点が得られるということを初めて知った。
歳を取ると歴史のことが面白いと感じるようになる。10代の頃にはこれっぽっちも興味を持てなかったんだけどね。
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(感想文の感想など)
今でも歴史についてはあんまり興味を持てないけれど、今の時代はいつの時代と似ているのだろうか。