40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文18-41:遺訓

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※2018年10月11日のYahoo!ブログを再掲

 

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本書は、佐藤賢一さんによる新徴組(感想文12-45)の続編に位置づけられる時代小説。タイトルの遺訓とは、南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)のことである。

歴史全般に疎い私は、初めて南洲翁遺訓という存在を知った。ウィキペディアによると『西郷隆盛の遺訓集である。(中略)旧出羽庄内藩の関係者が西郷から聞いた話をまとめたものである。』とのこと。

庄内藩、つまりは現在の山形県鶴岡市の人たちが、どうやって鹿児島にいる西郷隆盛と接点を持ったのか。インターネットもSNSは当然なく、電話もない。郵便制度すらまだまともにできていない、そんな時代にだ。

二つの藩の関係を遡ると、薩摩藩(新政府側)が庄内藩(旧幕府)を挑発し、キレた庄内藩が1867年に薩摩藩邸を焼き討ちする事件を起こす。やられたのでやり返すという大義名分ができた新政府軍は、東北戦争を引き起こし、会津藩庄内藩を屈服させる。このあたりの経緯は、維新の肖像(感想文18-07)に詳しい。ここだけ切り取れば、西郷隆盛は非道で、ロクでなしと思う。なんで大河ドラマで主人公気取ってるんだという気持ちになる。

ところがだ。東北戦争について、庄内藩には寛大な処置が下される。それが西郷の指示によるものであることがわかり、庄内藩は恩義を感じる。こうして薩摩と庄内の交流が生まれる。日本に2つだけ残された武士たちの交流だ。折しも、1873年西郷隆盛大久保利通と朝鮮問題で対立し、下野する。薩摩に帰郷した西郷隆盛はプライベートな軍事学校を創る。そして、庄内藩はエリートたちをその学校へと送り込む。

こうして本書の物語が始まる。主人公は、沖田芳次郎(おきた よしじろう、1853-1895)。同い年生まれは、北里柴三郎ゴッホ、オストヴァルト、緒方正規。芳次郎は、実在の人物であるが、小説なので実際の生き様とは大きく異なっている。叔父は新選組沖田総司。前書である新徴組の主人公である沖田林太郎の息子である。

あえて書いてしまうが本書は、大久保利通が暗殺されるところまで描かれている。簡単にその時代の出来事をまとめておこう。

1874年2月:佐賀の乱
1874年4月:江藤新平 梟首の刑により処刑(40歳、歳月(感想文12-37)参照)
1874年10月:台湾出兵宮古島島民54人が殺害される事件がきっかけ)
1875年9月:江華島事件
1876年2月:日朝修好条規締結
1876年10月:熊本で反乱(神風連の乱
1876年10月:福岡で反乱(秋月の乱
1876年10月:山口で反乱(萩の乱
1877年1月:弾薬掠奪事件
1877年2月:西南戦争
1877年9月:西郷隆盛 自刃(49歳)
1878年5月:大久保利通 暗殺(47歳)

こうして列記するとよく分かる。短期間で歴史が凄まじく動いたのだ。また、亡くなった歴史上の人物たちは今の感覚だと非常に若い。その頃は政治と権力争いは生き死にに直結していた。

本書は史実と創作が織り交ぜられている。江藤新平西郷隆盛大久保利通など有名人が出てきて、さらには元新選組斎藤一まで登場する。斎藤一はその人物像に謎が多い分、それだけ様々な創作物に使われがちな人物だ。

なんのための戦いだか、誰も分からなくなっているのだ。わかるのは、誰のための戦いなのかというだけだ。それだけは疑いえない。権力を握る者のための戦いだ。己が天下を手放したくない者のための戦いだ。(p.383)

そして著者の佐藤さんは鶴岡出身だ。昨年、たまたま鶴岡に仕事で行く機会があった。もっと歴史のことを学んでおけば良かった。作者の鶴岡贔屓感は拭えないが、庄内藩薩摩藩とで交流があったことを知り、歴史の面白さが少し分かったような気がする。

様々な人間の思惑が交錯する。生まれた時代がほんの少し違っていれば、生まれた場所が違っていれば、死んでいった人たちはまた異なる人生を歩んだだろう。多くの血が流れ、近代の日本ができていったことを改めて思い知った。

 

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(感想文の感想など)

今では鶴岡市はバイオベンチャーの聖地と呼ばれるようになっている。私が仕事でその地を訪れたのは2017年夏だった。

あつみ温泉で宿泊し、朝から芋煮(醤油味で牛肉入り)を食べたのは良い思い出。