40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文20-45:16歳からのはじめてのゲーム理論

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広大なミクロ経済学の中できらびやかな分野といえばゲーム理論だ。2012年度にゲーム理論を学んで、もっと早く出会っていれば良かったと悔やんだ。こんなに面白い研究分野があったのかと。

数学が得意(トレードオフなのか国語と社会はさっぱりだったの)で理系に進んだものの、男子校生活から早く抜け出したいと工学部や理学部を選ばず、さほど強い興味のない農学部に進学した。それはそれで良い思い出になったものの、私の進学についてきちんと相談できる師と呼べる人は周囲にいなかった。

そもそも父親は高卒だし、母親は大卒だけれど教育系だったし、親戚を見ても理系は誰もおらず、大学進学者も数えるほどだった。年上の親戚よりも成績は私の方が良かったこともあり、アドバイスしにくいと捉えられたかもしれない。そもそも商売人が多い家系で、学問そのものに詳しい人はいなかった。

もっと学問全体を俯瞰して、そこから自分が真に面白いと思えるものを選んで、人生を歩んでいれば、また違う人生だっただろうし、今と違う仕事をしているかもしれないなと夢想しているが、今の人生に大きな不満があるというわけではない。人生とは選んでいるようで選ばれているだけかもしれない。

さて、もっとも美しい数学 ゲーム理論(感想文09-53)を読んだときには、さっぱりゲーム理論を理解していなかった。感想文は書いていないが、2012年度の社会人学生時代に神戸 伸輔『入門 ゲーム理論と情報の経済学』で勉強し、囚人のジレンマや展開型やナッシュ均衡と完全均衡などを学んだが、まだまだ理解は及んでいない。

また、ジョン・ナッシュの半生を描いた映画『ビューティフル・マインド』を見る機会があったが、そこでは天才性と引き換えに精神疾患に苛まれる数学者の話で、ちょくちょくゲーム理論っぽい話が登場するが、映画を見るとゲーム理論に詳しくなるというわけでは、残念ながらない。

考え悩む人が、考え悩む人たちの社会の中で、どうやって考え悩むのか、どうやって意思決定するのか、それを研究する学問があります。その学問は、「ゲーム理論」と呼ばれています。(p.004)

私が老齢してきたことも影響しているが、単純さと複雑さの間にある人間社会というものについて、考えることの面白さがわかってきた。どんな小さな組織、例えば家族や息子のサッカーチームや小学校の卒対などでも、あるいは大きな組織や集合体、例えば会社やコロナ禍の都民や米大統領選の有選挙権者などでも、多くの人が悩みながら意思決定していく。

逆に言うと、ゲーム理論をベースに考えていくと、協力しないことや十分に話し合わないことが誤った意思決定に導いていく様が見えてくる。私はそんな誤った意思決定を歯がゆく思う。それは自分の思い通りにならないことへの不満ではなく、なぜ協力したり、情報を共有したりしないのか、あるいは協力や情報共有できない理由や障壁の存在を考えようとしないのか、というモヤモヤだ。

本書は、そんな「社会のことをよりよく理解したい」人に、ゲーム理論に触れていただくための、物語集なのです。(p.006)

結論を言うと、私のようにゲーム理論をかじったことのある人にとっては、あまり身にならないと思う。さすがに簡単すぎる。とはいえ、入念に考えられており、読みやすく、16歳でも読み解きやすくできている。よって、私の長男が高校生になったら、勧めることにしようと思う。

気になった箇所を挙げておこう。

たとえ他の人と意見が一致しても、それは話し合いを終える理由にはならない。もっと情報を共有すると、意見は変わるかもしれない。(p.058)

これは大変重要な示唆で、例えば夫婦間で話し合いがあり、それが例えば離婚という結論で一致したとしても、互いにもっと話し合うことで異なる結論にたどり着くことがあるということだ。互いに誤解している場合もあるだろうし、そもそもの前提が覆されることもあるだろう。逆も然りで、付き合っているカップルが結婚するという結論に至っても、よくよく聞いたらパートナーに借金があるとか、経歴を詐称していたとかあって、やはり結論が変わることがある。囚人のジレンマでは互いに自白が支配戦略となるが、それぞれの状況が筒抜けだったら黙秘が支配戦略となる。

「人が何かをするのには、理由がある。」これは、我々人間の社会生活において非常に重要な考え方なのではないか、と私は思います。そしてそんな「人間の社会生活」を分析するのが、ゲーム理論なんですよ。(p.142)

本書でも言及されていたが、何かをしないことにも理由があるのだ。人間の行動は面白く、私の好きな言葉の一つに「Action speaks louder than words.」があり、何をしたか、あるいは何をしなかったかということが雄弁にその人の心理を表している。そいつが口で何を言っていたかは当てにはならないのだ。

さて、現実社会は更にややこしくなっている。情報は反乱し、フェイクニュース(と自称ファクト)が混在し、SNSがあり、メディアが情報を乱反射し、それらが意思決定に影響を与える。大阪都構想住民投票アメリカの大統領選挙はその際たる事例だ。

私たちが行動する際には理由がある。でもその理由が正しいかどうかは別問題だ。正しいかどうかはその時点では判然としない場合もあれば、単純に情報が足りない場合もあろう。そういった不確かな情報を前提にどうするかを考える際にもゲーム理論はきっと役立つことだろう。