久しぶりに読んだ小説。タイトルに惹かれて購入した文庫本。たまに小説を読みたくなる。頭が仕事モード全開ではなく、かつ気分が落ち込みすぎていない絶妙な時だ。体が頭が、いや心が物語を欲しがっているときがある。
著者は山本文緒さん。ところが本書の解説で知ったのだが、
とのこと。享年58歳の若さで亡くなっていたのだ。山本文緒さんの小説は今回が初めてで、なぜこの本を手に取ったのはその理由は判然としない。確かにタイトルには惹かれたが、それだけで読んだことのない作家の本を購入するのは私には珍しいのだ。
ちょうど小説を欲していた時期でもあったけれど、あまり考えるでもなく、レジまで運び支払いを済ませていた。不思議な出会いで読んだ本だった。
アパレルで働く32歳女性の都が主人公。母親の看病のため東京から茨城の実家に戻り、地元のアウトレットのショップで店員(非正社員)として働き始める。中卒の寿司屋の店員(のちに無職)である貫一と付き合い出し、家族、仕事、恋人、友人関係で日々悩み不器用に生きていく。
都と貫一は客観的に見れば経済的に底辺カップルだが、しかしこの社会には決して少なくないありふれた二人でもある。
「<前略>家事をやりつつ、家族の体調も見つつ、仕事も全開で頑張るなんて、そんな器用なこと私にはできそうもない。でも世の中の、たとえば子供いる人なんかは、みんな、四本も五本も一斉に回しているみたいな生活を毎日してるんでしょ。なのに私、これしきのことで、なんか頭がぐるぐるしちゃって」(p.102)
という都に対して、
「そうか、自転しながら公転してるんだな」(p.102)
と総括する貫一。貫一は共感してるんだかできてないんだかよく分からないまま、意外な観点から言語化してくる。
二人は何度もすれ違いながら、それぞれに舞い降りるトラブルに巻き込まれながらも、自転し公転していく。
何かに拘れば拘るほど、人は心が狭くなっていく。幸せに拘れば拘るほど、人は寛容さを失くしていく。(p.436)
底辺な二人ももちろん幸福になりたいし、そうしようと足掻くが打開できない。ところがちょっとした環境の変化が思わぬ事態へと繋がっていく。
不器用な二人の悩みや行動、二人の交友関係、思いや信条が交錯していく。発売元出版社のウェブでは共感度100%小説と銘打っているが、あいにく私には微塵も共感できない。それでもなお面白いと感じる。
家庭や職場や恋人で悩み、自省し、自らが自らを苦しめる。仕事や仕事以外でいくつもタスクがあり、将来が見えず、焦りと憧れと妬みがない交ぜになって、毎日が過ぎていく。
二人の人生に私は共感(エンパシー)できないけれど、二人の日常の悩みや苦しみには共鳴(シンパシー)できる。
自分のことを棚に上げて貫一に接する都には共感できない。ネタバレは避けたいのであまり書けないけれど、最後の最後までそういう行動する?ってところもますます共感できない。
本書は共感100%でなくても、共鳴できるし、面白い。私とは年代も性別も異なる登場人物たちだけれど、十分に物語を楽しむことができた。30代の女性が読むとまた違った感想になるだろうな。