※2017年3月2日のYahoo!ブログを再掲
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日本において英語を巡る言説はたくさんある。関係する本としては、英単語500でわかる現代アメリカ(感想文08-45)、日本人の英語(感想文09-58)、日本語の科学が世界を変える(感想文15-25)かな。
多くの社会人が英語力を磨くために英会話教室に通ったり、TOEICを受験したりしていることだろう。私も過去に何度かチャレンジし、結局、たいして身につくこともなく、時間とお金を失っている。
仕事で英語を使う機会はたまにある。英語でメールを書いたり、海外出張に行ったり、英語で意見交換することもある。それなりの英語でそれなりの意思疎通はできるが、気の利いたジョークを言ったり、哲学的なことを話したりは、全くできない。
母語(私の場合は日本語)と異なる言語を学ぶことには、大きな意義があると思う。日本語を相対化することは、自らの論理性を客観視することにもつながると思う。英作文をこなしていくと、日本語がいかに読み手に多くを期待して成り立っているかよく分かるものだ。
さて、本書である。タイトルは極めて扇動的だ。とはいえ、内容はそこまで尖ってはいない。
著者は、政治学者であり、アンチ・グローバリズム、反進歩史観という立場にある。グローバリズムという病(感想文15-06)では、グローバリズムは国民国家を敵とした理念とあり、本書の主張に即して言い換えれば、グローバリズムは日本語を敵とした理念でもあるのだ。こう考えると腑に落ちる。
本書の目的は、端的に言って、この「英語化」政策の勢いに、警鐘を鳴らすことにほかならない。英語化の行き着く先に、この国の「誰も望まない未来」が待っている。英語化は、日本を壊すのである。
なるほど、アンチ・グローバリズムの政治学者からすると、近年の英語公用語化推進論は、まさにグローバリズムと同期しており、英語化は日本語をそして日本を滅ぼすというのだ。
ふむ。著者の主張が正しいかどうかはさておき、こういう考えもあるというのはよく分かる。その上で、気になった箇所を挙げておこう。
ヨーロッパ近代社会の成立を振り返れば、むしろ「普遍的」でよそよそしい知を、各国・各地域の日常生活の言葉に翻訳し、それぞれの生活の文脈に位置づけていく過程、言わば「普遍から複数の土着へ」という過程こそが、近代社会の成立を可能にしたものだと描けるからだ。
「翻訳」と「土着化」というのは、本書のキーワードである。ラテン語やギリシャ語で書かれた知を、苦労して翻訳し、根付いて土着化する。日本でもその苦労があったからこそ、今の日本があるとも言える。
日本が本当に目指すべきは、日本人の英語力強化ではない。目指すべきは、非英語圏の人々が、安心して日本人と同じくらい英語が下手でいられる世界の実現である。
これには強く同意する。結局は、どういう世界を実現するか(したいか)という話に行き着く。今のグローバリズムではない世界。国とは何か、という問いにも近い。
本書が出版されたのが、2015年7月。潮目が変わりつつあり、今では反グローバリズムが勢いづいている。トランプが米大統領となり、EUから英国の離脱(Brexit)が起きている。自由主義陣営のアメリカとイギリス、って言うか英語(と米語)の本場が、まさかのアンチ・グローバリズムときているから、面白いものだ。
もうちょっと広く見てみると、結局は、グローバリズムが国の存立に関わってくるのだから、こういう事態も起きてしまうのだろう。
政府や財界が官民挙げて取り組んでいる日本社会の英語化とは、日本社会の良さやアイデンティティの大部分を放棄し、英語による世界の階層化を加速させ、日本を三番目の序列に位置づけるものだと言わざるを得ない。
本書で納得できなかったのは、この主張だ。一等国であるはずのアメリカやイギリスですら、グローバリズムでその存立がゆらぎ、自国優先、保護主義、はたまた鎖国という方向に舵を切りそうだ。要するに、もはや英語はグローバリズムで欠かすことのできない重要なパーツではないのだ。国家の序列みたいな平和な時代の競争は、グローバリズムが行き着く先には、存在し得ないのだ。
とはいえ、日本の良さとそれを破壊する英語公用語化という議論は、もちろん成立するのだけれど、本書で伝えたい本質はそこではない。
グローバリズムでも保護主義でもない、異なる世界を創り上げることでできるかどうか、その岐路に立っている。
「積極的に学び合う、棲み分け型の多文化共生世界」
著者が思い描くこの世界は、私たちの生きる未来の先にあるのだろうか。
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(感想文の感想など)
最近、仕事に疲れてきたので勉強したい意欲が高まっている。仕事しながら勉強できなくもないが、仕事量が閾値を超えると、そもそも勉強する時間を捻出できない。やろうという気も起きない。
ということで英語は聞き取りが最大の課題。強化していきたい。
今年はTOEICを受けてみよう。たぶん。