40代ロスジェネの明るいブログ

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感想文15-05:名画で読み解く ロマノフ家 12の物語

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※2015年3月9日のYahoo!ブログを再掲
 
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名画で読み解く ハプスブルク家12の物語のロマノフ版。舞台はロシアだ。ハプスブルク家の本を読んだのがもう6年前。時間が経つのが恐ろしく早く感じる。

1613年7月11日、17歳の誕生日前日に、ミハイルはしぶしぶ玉座についた。(中略)初代ロマノフはロシア正教との政祭一致で、ツァーリズムの維持強化を図ったのだ。

ロマノフ家の初代は、ミハイル・ロマノフ(1596-1645)でロシアのツァーリ。日本だと江戸時代。ここから1917年にロシア革命で滅亡するまで300年以上の歴史がある。

太陽王ルイ14世も同じ年齢で(ピョートルから遡ること約30年前)、フロンドの乱から辛くも逃れた経緯がある。絶対君主として西洋史に燦然と輝く二人の傑物が、多感な少年時代に殺されかけ、その記憶によって首都を嫌い、片やパリからヴェルサイユへ、片やモスクワからペテルブルグへ遷都を敢行したという事実はなかなか興味深い。

ピョートル(1672-1725)もルイ14世(1638-1715)も10歳の時に殺されかける。ピョートルはロマノフ朝の5代目。ピョートル大帝とその時代でピョートルのことは知っていたけれど、少年時代に殺されかけたことが、人格の一部を形成した原体験になっているんだ。

フリードリヒ大王の息の根を止めようとした時、邪魔をするのが自分の後継者、という冗談のような構図になったしまう。

 ペチコート作戦のことで、フランスのポンパドゥール夫人(かの名はポンパドール参照)、オーストリアマリア・テレジア、ロシアのエリザヴェータの3人による反プロイセン包囲網だ。

しかし、後継者のピョートル3世はフリードリヒ大王の信奉者で、追い詰めていたプロイセンと和約して、民衆からの不評を買う。そして、ピョートル3世の皇后(嫁さん!)であるエカテリーナ2世がクーデターを起こすのだから、ロシアの女性は怖い。

18世紀のロシアは女帝の時代であり、エカテリーナ2世ロマノフ王朝における最後にして最大の女帝である。(中略)ドイツからわずかな下着を詰めたトランクだけを持ってロシアの地を踏んだ少女は、我慢に我慢を重ね、努力に努力を重ね、粘り、戦い、ついに33歳にして、帝国のトップに就いた。

エカテリーナ2世ロマノフ朝の血をひいていないどころか、元々ロシア人ですらない。そんな女性がツァーリになったのだ。時勢を読み、わずかなチャンスをものにした。

後年、「第一次世界大戦」と名づけられたこの国家総力戦は、ハプスブルク、ロマノフ、ホーエンツォレルン、オスマンという四王朝に幕を引いたことでも知られる。

ロマノフ朝が終わるのは、18代目のニコライ2世のとき。ロマノフ朝はあんまり日本と関係がなかったみたいだけれど、ニコライ2世といえば有名な大津事件がある。詳しくはニコライ遭難を参考に。

ハプスブルク家皇位継承者フランツ・フェルディナントがサラエヴォ事件で暗殺され、第一次世界大戦のきっかけとなる。戦争でロシアは疲弊し、革命が起きて、ニコライ2世は家族もろとも殺される。
こうして血みどろのロマノフ朝は終わりとなるが、ロシアが血みどろなのは今もあんまり変わっていない感じがする。つい先日も野党政治家でプーチンに敵対していたボリス・ネムツォフが暗殺された。おそロシア
ロシアには行ったことがない。エルミタージュ美術館に行ってみたい。できれば暖かい時期に。そういえばハプスブルク家の舞台であるスペインとオーストリアにも行ったことがないなぁ。仕事で行くことはないんだよなぁ。きっと。
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(感想文の感想など)
その後、仕事でロシアに行くことはありませんでした。しばらくはコロナで海外出張はムリだろうな。