※2013年4月10日のYahoo!ブログを再掲。
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課題解明の経済学史(感想文13-13)がいまいちちゃんと理解できなかったので、もうちょっと人間にフォーカスした本はないかということで、本書に至った。とはいえ、ケインズとハイエクという経済学でどちらも有名人だけれど、その主義主張の差異や背景はあんまり理解できてないので、読む前から楽しみにしていた。
興奮気味に妻に本のタイトルを見せると、その反応は、「どちらも知らん」と冷たい。そうか。一般的な知名度はそんなものか。ということで、感想文の前にちょっと、お二人のことをまとめておこう。
ウィキペディアによると、ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)は、
イギリス生まれの経済学者。イングランド、ケンブリッジ出身。20世紀における最重要人物の一人であり、経済学者の代表的存在である。有効需要(着想自体はミハウ・カレツキが先であるとされる)に基いてケインズサーカスを率いてマクロ経済学を確立させた。
とのこと。
また、
ケインズの有効需要創出の理論は、大恐慌に苦しむアメリカのフランクリン・ルーズベルト大統領によるニューディール政策の強力な後ろ盾となった。
ということなので、カポネのやり方の政府版は、ケインズの理論によるものなのだ。
他方のハイエク(1899-1992)は、ウィキペディアによると
オーストリア・ウィーン生まれの経済学者、哲学者。オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学、政治哲学、法哲学、さらに心理学にまで渡る多岐な業績を残した。20世紀を代表するリバタリアニズム思想家。ノーベル経済学賞受賞。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは母方の従兄弟にあたる。
とのこと。
よくよく考えるとハイエクについて自由をいかに守るか ハイエクを読み直す(感想文08-02)でちょっとかじっていた。感想文を読みなおしても、こいつ全く分かってないな感がひしひしと伝わる。
ということで二人の考え方は全く異なっている。そして、今なおその論争は終わりを告げていない。ということで、本書を引用していこう。
こんにち、自由市場の価値と政府の介入についての対立的な主張をめぐる論争は、1930年代と同様に熾烈をきわめている。では、ケインズとハイエクのどちらが正しいのだろうか。本書は80年にわたって経済学者や政治家を分断してきたこの疑問に答え、この二人の傑出した人物の明白な違いが、現在まで続くリベラル派と保守派の大きな思想の違いに結びついていることを明らかにしようとするものである。
アベノミクスという言葉が人口に膾炙し、経済学が俄に話題になっている。不況な時に公共事業で景気を良くする政策(まさにケインズの理論)が果たして正しいのか。再び試されようとしている。
自身の冷静な対応策を示した。つまり、手っ取り早い解決策を探すことはしない。不愉快な事実ではあるが、不均衡に陥った経済を回復させられるのは時間だけである。即効薬を勧める、ケインズのような口のうまい医者たちには用心せよ。(中略)安易な解決策など存在せず、長い時間だけが真の回復をもたらす。
一方のハイエクはそうではない。ぼくの理解が正しいかどうかはさておき、今のEUやちょっと前の民主党の政策と親和性があるように思う。しかし、どうもどちらともうまくいっている(いっていた)ようには思えない。
ケインズは熱心な革新主義者で、本来の世界をもっと人道的なものにする手助けをしたいと切望していた。ハイエクのほうは、その生涯を通じて自分は保守主義者ではないと主張していたものの、新しいものに対してはきわめて懐疑的だった。
この辺りも二人のそもそもの性格というかパーソナリティをよく表しているように思う。そんな二人はすごく仲が悪かったというと決してそうでないし、学業以外の付き合いや接点がなかったかというとそうではない。
シャベルとほうきをかついだケインズとハイエクが、キングス・チャペルのゴシック様式の屋根で警戒にあたり、夜空をともに見上げてドイツ爆撃機を探すという、あり得ないような場面が実現することになった。
ハイエクはケインズに憧れていたし、尊敬していた。ケインズもハイエクを考え方は違えとその優秀さを認めていた。夜空を眺めながら、屋根の上で一体二人はどんな会話をしていたのだろう。
時がたつにつれて、「隷従への道」は経済計画の正当性や有用性に異議を唱える主要な著作として、広く認められるようになった。
「隷従への道」は、ハイエクが1944年に書かれ話題となった。ジョージ・オーウェルの『1984』が執筆されたのが1948年ということなので、ちょうど社会主義への期待と批判が話題になっていた頃なんだろう。もちろん、本書は批判側ね。
経済成長率が低い、またはゼロの状態でインフレが進行するという、それまであり得そうにないと考えられていた組み合わせ、いわゆる「スタグフレーション」が起きたのである。ケインズ時代は風前の灯となり、かわってスタグフレーションの時代が幕を開けた。
これは1970年代のこと。ウィキペディアによると
stagnation(停滞)、inflation(インフレーション)の合成語で、経済活動の停滞(不況)と物価の持続的な上昇が共存する状態を指す。
ということで、ケインズの理論が間違っていると考えられるようになった。この辺りでぼくが世に生まれるんだ。だから、ぼくが幼少期に見た政治は、ハイエクの影響を色濃く受けているようだ。
サッチャーは公共部門の規模の縮小、貨幣供給量の削減、減税、経済活動に対する規制の緩和、国債の償還、そして「民営化(プライヴァタイゼーション)」と呼ばれた過程での国有財産の売却に着手した。これは純粋なハイエク主義にフリードマンの思想を少し混ぜたものだった。
サッチャーの英国首相の在任期間は、1979年~1990年。この頃に大きくイギリスは変貌した。何となく記憶にある。
多くのケインズ主義者にとって、レーガノミクスは小手先のごまかしにすぎず、政府の規模を縮小するというハイエク派の威勢のよい言葉の裏で、軍事に多額の公的資金をつぎ込み、総需要を拡大して経済成長を促すという、政治的な小細工だった。
レーガンの大統領在任期間は1981~1989年。ちょうど同時代だったんだね。ハイエクの考え方のように小さな政府を目指していたが、その実態は全く違ったようだ。
ケインズとハイエクの主要な違いのひとつである、「経済をもっとよく理解する方法はトップダウン式かボトムアップ式か」、つまりマクロ経済学かミクロ経済学かの問題について、優位にたったのはケインズだった。彼の大局的な分析法はこんにち普遍的に活用されており、経済学者が経済を計測するときの主要な指標である国内総生産もそのひとつである。
現時点ではケインズがやや優勢とのこと。アベノミクスの功罪が分かるのは、きっとずっと先のことだろう。私たちは失敗から学ばないといけない。アベノミクスを盲信するだけでなく、うまくいかなかった場合には、その原因がちゃんと検証できるように準備をする必要があるだろう。うまくいったときは、本当にそれがアベノミクスによるものかどうか精査する必要があるだろう。後者の方が難しいだろうけどね。
本書はなかなかの大著であり、経済学を少しかじった程度のぼくでは理解するのは難しかった。ちょっと注文をつけるとしたら、誰かに解説を書いて欲しかったということだ。訳者のあとがきもなく、ちょっと不親切な感じがしないでもないというのが、残念かな。
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(感想文の感想など)
経済政策についてはたくさん言説があり、経済学者で言うことが異なっている。
真面目に実証するしかないのだけれど、時間がかかるし、言えることは限定的だし、当然ながら未来を予測できるわけではない。
はっきりしているのは、劇的に悪化する政策はある一方で、今の日本で劇的に経済が良くなるような政策は存在しないということだ。