40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文08-02:自由をいかに守るか―ハイエクを読み直す

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※2008年1月30日のYahoo!ブログを再掲。

 

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ハイエクのことなんて全然知らない人間が読んでみました。

ウィキペディアによると

オーストリア生まれの経済学者、哲学者。オーストリア学派の代表的学者の一人であり、経済学、政治哲学、法哲学、さらに心理学にまで渡る多岐な業績を残した。20世紀を代表するリバタリアニズム思想家。ノーベル経済学賞受賞。その思想は、後の英国のマーガレット・サッチャーや米国のロナルド・レーガンによる新保守主義新自由主義の精神的支柱となった。

とのこと。これだけ読んでもよく分かりません。

何で読もうかと思ったかというと、京都の新幹線乗り場の本屋の新書コーナーにたくさん置いてあったから。何?今、話題?って感じで、特に深く考えたりもせずにレジに持って行ってしまったのだ。

読んでみると、ハイエクさんの言ってることはまあそのごもっともな感じがする。ほほう。一方でこの著者はハイエクさんの言いたいことをきっと分かりやすく伝えてくれているんだろうけれど、ハイエクさんのことを知らない人間としては、ホントにハイエクさんがそういう趣旨のことを言いたかったのかどうか全然分からないのです。

こうやって読書感想文を書いていると、読書感想文縛りの功罪について考えざるを得ないなぁ。

だって、普段だったらかなり早い段階でこの本を投げ捨てているかもしれない。やっぱりよく分からないから。ハイエクさんの言いたいことをもっとずばっと書いたような本あるいは原著そのものを読んでみないことには、何ともハイエクさんのことを知った気にはなれないんだもの。

むしろ、ハイエクさんの言いたいことを現代の問題に当てはめるとこういう感じになって、こんな風に解決できるんですよ的な本だったらもっと楽しく読めるんだと思う。

いや、言い訳はやめよう。結局ぼくの理解力が足りないので、こんなことを言ってしまっているだけなんだ。読書感想文第2回目で既に暗礁に乗り上げつつある。困ったもんだ。

さて、こういう読み苦しい文章を書き連ねることはこの辺にして、分かっていないながらも感想文を書いてみよう。

自由と平等。これが両天秤かどうかはさておき、そうすると整理しやすいという観点からそういうもんだと整理してみると、その両天秤が歴史でゆらゆらゆれている。それが国全体でどうこうという時代は何となく通り過ぎたように思う。ぼくの親が学生の頃は、それこそマルクス主義が元気いっぱいだったけれど、ぼくが生まれてからはドイツしかり、ソ連しかり、北朝鮮しかりと、共産主義の国家規模の実験はことごとく失敗に終わっている。ぼくの世代の人間は、今更ながらそんな平等思想の有効性を純粋に信じ切ったりはしていない(と思う)。

この新書を書いた作者との大きな違いはそういうところにあるんだろう。同時代的に自由と平等のうねりを感じてきた人間と、同時代的に既に何となく勝敗が決まってしまっているように感じてきた人間。

それでも疑問が残る。経済において国の関与は良くないってのは何となく分かる。自由主義のみが有効な経済を強める手段だってのも分からなくはない(ぼくが経済について疎いということは十分に吟味しても)。

でもそれ以外の分野ではどうだろうか。身近なものとしては教育がある。ぼくが小さい頃にはどこかしら競争を忌避する教育があった。行き過ぎた競争によって落ちこぼれが生まれるから競争はしない。受験戦争からゆとり教育に方針転換されたのは、ぼくの少し後からだけど、平等主義が教育界を席巻しつつあったのだろう。

競争しないってのは、意外と難しいことで、かけっこと一緒で、必死に走っているときには周りの風景は見えないもの。誰かの背中が見えたりするかもしれないけれど、トップに出ると後ろを振り返っている余裕なんて無い。ところが競争しない、つまり一緒にゴールインするってのは周りに気をつけないと行けない。ほんの少し前でもほんの少し後でも、それが自分であれ他人であれ、差が出ると話が違うって非難されてしまう。

KY(空気読めない)って言葉が生まれた背景にそんな教育の平等思想があるのかもしれない。常に周りを見て、空気を読んで、ずば抜けたり、落ちこぼれたり、するのもさせるのも、避けないといけない。こういうことを日常的に訓練させられてきた若い人たちから新しい言葉が生まれて、人口に膾炙するようになった。

ああ、やっぱり本の趣旨を理解できていないから、こういうことを長々と書いてしまうんだ。これからは読む本をちゃんと選ぼうと思う。

いやホントに反省してます。

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(感想文の感想など)

感想文ではなく、反省文でしたね。

行き過ぎた平等も行き過ぎた自由も、どちらにも問題がある。その匙加減が難しく、どこに線を引いても、誰かには不満が残る。

分からない内容でも真面目に感想文を書こうとしている、当時の私の姿勢だけは褒めてあげたい。