※2013年5月18日のYahoo!ブログを再掲。
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ケインズかハイエクかでその生涯と学術的に果たした役割を知っったケインズ。ウィキペディアによると『20世紀における最重要人物の一人であり、経済学者の代表的存在』とまで言われている。
高橋是清(1854-1936)のことは、実はほとんど知らなかった。常識がなくてすみません。特許法と著作権法を作ったということで知っていて、日本の特許庁には胸像が飾られている。
しかし、本書にあるように「日本のケインズ」と呼ばれているような財政家としての是清のことを全く知らなかった。
本書の著者は、リチャード・J・スメサーストさんで、日本研究をしている外国人だ。こうして外国人が調査し、英語で出版され、邦訳されて日本で出版されるというのは、珍しいことだろう。
これも高橋是清が若くして英語を学び、ネイティブ並みに会話することができ、英語圏の要人と手紙を通じて交流していたので、外国人の研究者が研究対象として選択しやすく、また日本人だけではその人生を精緻に描き出すことが難しかったからであろう。
高橋が生まれたのは、1854年の7月、マシュー・ペリー提督と「黒船」が初めて日本に来た1年後であった。高橋がアメリカにいる間に、高橋がほぼその生涯を通じて奉職することになる政府が権力を握り、子ども時代を過ごした都市が新しい名前になったのである。
1854年に生まれた有名人は、アンリ・ポアンカレ(数学者)、レオシュ・ヤナーチェク(作曲家)、ハインリッヒ・エドムント・ナウマン(地質学者)、 高峰譲吉(科学者・実業家)。おお、高峰譲吉と同い年だったんだ。交流があったのだろうか。本書ではその点は特に描かれてなかったけれど…。高橋は、黒船、大政奉還、明治維新といったまさに激動の時代に生きた。
ものごとに動じない超然とした態度と現実的な対応、見知らぬ人と打ち解けて話すことができる社交性と無頓着ともいえる陽気さ、外国人に対して引け目を感じることのなさといった、彼が生きた時代の日本人にとっては稀有な性質を身につけたのである。
高橋は人間的に大変魅力のある人だった。生き様もそれはもうすごい。本書では活き活きと描かれていて、結構なボリュームだけれど、この1冊だけでは描き切れないほど、様々なことを経験している。若くして英語教師になり、渡米し、特許法を作り、銀山経営に失敗し、日銀総裁になり、大蔵大臣になり、総理大臣になり、そして暗殺される。
高橋是清は、政治経済思想家として、時代を大きく先取りしていたという点で、重要な財政家である。1932年の恐慌の最中に大蔵大臣に復帰するまでに、高橋は、13の重要な原則を理解するに至っていた。
この13の原則は今でも当てはまるし、現在にも通用する政治思想だと思う。その第8番目に、
過剰な軍事支出は、国の経済の健全性だけでなく、国防そのものも危険にさらすことになる。
とある。しかし、その当時の日本は、軍国主義へと移行している最中であり、それに対して真っ向から反対していたのが、高橋だった。
英国製の軍艦とシェル石油がなければ、やはり日本はロシアに勝利できなかった。技術と資源は、兵士の勇気や将校の技能と同じくらい軍事的勝利にとって重要であるにもかかわらず、日本人の日露戦争に関する記憶のなかでは、外国の技術を等閑視する一方で、東郷元帥と乃木大将を神格化させてしまった。
東京の乃木坂には乃木神社があり、まさに乃木希典が神として祀られている。神格化した、あるいは政策的に神格化させたのであり、その背景には暴力がある。
1932年から1936年にかけて、軍部のさまざまな勢力が、海外侵略、国内クーデーター、暗殺といった動きに出て、日本の政治と外交政策を変質させてしまった。
団琢磨、首相経験者(浜口雄幸、犬養毅、斉藤実)、蔵相(井上準之助、高橋是清)が暗殺されている。暗殺は、抵抗勢力にある人物を葬るだけでなく、抵抗勢力の意欲を削いだ。こうして日本は軍国化し、そして太平洋戦争へと突入していく。
ケインズは1883年生まれであり、高橋よりも遅れて生まれている。日本のケインズと称されることは、嬉しいかもしれないけれど、ケインズよりも時代を先取りしていた。
経済が復興しつつある今の日本。現政権は、経済成長の促進を最優先しているという点で、高橋の思想と類似しているように思う。改めて高橋の偉大さを思い知る。
本書を通じて高橋是清のことを知ることができた。「尊敬する人は?」と聞かれてたら、これからは「高橋是清です。」と答えようと思う。
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