※2013年2月21日のYahoo!ブログを再掲。
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今年度から経済学を学び、効用、需要と供給、価格、量、財、コースの定理、シュタッケルベルグ競争などなど多くの用語を学んだ。とはいえ、様々な経済学のツールや考え方の歴史や背景が分からない。
もうちょっと立体的に把握したいと考え、経済学史を知りたいと思い、本書に至った。
著者は、橘木俊詔さん。おや、どこかで見たことがあるなと思ったら、貧困を救うのは、社会保障政策か、ベーシック・インカムか(感想文10-22)の著者の一人で、ベテランの経済学者だ。
経済学史をざっくりとまとめるとこうなる。たぶん。
- 古典派経済学/アダム・スミス(1723-1790)など/イギリス/労働価値説
- マルクス経済学/カール・マルクス(1818-1883)/共産主義
- ケインズ経済学/ジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)/有効需要の原理
- オーストリア学派/フリードリヒ・ハイエク(1899-1992)/リバタリアニズム
- 新古典派経済学/限界理論と市場均衡分析
- シカゴ学派/ミルトン・フリードマン(1912-2006)/市場原理主義
結局、分かったような分からないような感じ。経済学史は科学史とは違い、体系的に積み重なった学問という感じではない。様々なアイデアや説明方法を用い、時には壮大な社会実験を通じて、数学的に実証する。自然科学と社会科学の違いを感じる。
ということで、経済学を歴史的に理解するという当初の目的をちょっと諦めつつ、本書で気になった箇所を挙げておこう。
不正不法を伴う経済活動、人をだましたり人の弱みにつけこんだりする経済行為は認められないとするスミスの思想は、現代でも価値の高いものである。
経済学の祖であるアダム・スミスは、血も涙もない経済学を生み出したかのように思われているけれど、哲学者でもある。不正不法の伴う経済活動を否定していた。フェアプレイの精神であり、イギリスっぽい。
労働価値説について誤解を恐れずに一言で要約すれば、「財の価値はその生産に際して投入された労働の量に比例する」というものである。
古典派経済学の労働価値説についての説明。なるほど。
マル経についてあんまり勉強したことないんだよね。勉強したいとも思っていないんだけれど。財の生産に労働量が投入されるけれど、それを売って儲けるのは資本家なので、労働者は資本家から搾取されているというのが、荒っぽいマル経の考え方。
それで共産主義とか社会主義になってきて、きっとその頃は大きなムーブメントになっていたんだろうけれど、今となっては失敗しているので、ダメな経済学っていうイメージになってしまう。
ケインズ経済学の革命性は、(中略)国民所得、家系消費、民間投資、国際貿易、財政支出と収入といったようにマクロ経済分析手法の基礎となる道具を作った
へぇ。マクロ経済学ちゃんと勉強していないから、いまいちピンとこないけれど…。
アメリカのJ・M・ブキャナンを中心とする「公共選択学派」と称されるグループであり、政府に頼る政策をとらない方が望ましいと主張したので、反ケインズ学派の一つとみなしてよい。
経済運営は自由な市場の動きに任せるべきで、政府は介入すべきでないというのがハイエクの思想の根幹である。
市場の失敗が起きる場面以外には、政府は介入しないというのが今の主流の考え方だ。たぶん。政府の介入のさじ加減について、かなり幅広い意見があり、ケースによって判断が分かれる。とはいえ、大事なのは、政府が介入した結果、それが国民全体の余剰を増やしたかどうかについて実証的に分析し、事例をたくさん増やして、今後に活かすことだ。
最近のロクでもない規制の事例として、「医薬品ネット販売禁止」がある。これは、インターネット販売業者を締め出すことで対面販売業者の余剰を膨らませ、消費者余剰を低下させているに等しい。そもそもの一般用医薬品の副作用の発現率は0.0000306%なので、禁止する理由が見当たらない。結局、行政裁判で、違法で無効という最高裁判決が下り、この規制はなくなることとなった。
規制が正しいかどうかについて、裁判所は憲法に違反しているとか、そういうことを論点して判断するけれど、そこはしっかりと経済学的な観点から計量して、分析して、判断するということが本来であるはずだ。
さいごに、橘木さんは社会保障がご専門ということで、ビスマルクの話になる。
ビスマルクは1880年代に有名な3部作、すなわち1883年の医療保険、84年の労災保険、89年の年金保険という、いわゆる社会保障制度を作成する
ビスマルクってすごい人だったんだね。ちょっとビスマルクのことを調べてみようかな。
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(感想文の感想など)
最近、EBPM(Evidence-based Policy Making:エビデンスに基づく政策立案)が話題になっている。できれば浸透して欲しいが、EBPMの限界についてもきちんと理解して欲しい。
そもそもEBPMに適した政策(実証可能性)が望ましいし、また扱うデータの正確でないといけない。結果ありきで実証されるのでは困るので、実証は中立的なアカデミアに委ねて欲しいし、論文として公開し人類の知に貢献して欲しい。
その上で、実証結果によって、その政策を立案・関与した役人を罰するのは間違っているし、条件設定によっては実証結果や考察が異なることもありうることも考慮しておくべきだ。
いつか実証されることを前提として政策立案されることが、EBPMで最も重要な点であろう。政策は時に間違いを起こす。その原因を解明し、次につなげることが大切だ。