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感想文13-66:量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突

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※2013年11月12日のYahoo!ブログを再掲。

 

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理解したいと何度も思いながら、何度も理解できない領域、それが量子力学。そんな量子力学の世界について、歴史的に分かりやすく(それでも難解です)描いたのが本書だ。そこから読者が読み取るのは、どんなに偉大な物理学者も量子力学の世界で何度も迷子になって苦労しているということだ。

本書の主役はアインシュタイン1879-1955)とボーア(1885-1962)であるが、二人以外にも有名な物理学者がたくさん登場する。パウリ、ラザフォード、シュレディンガーハイゼンベルクなどなど。物理学全盛の時代で、量子力学という直感やイメージとはかけ離れた世界は、多くの学者を魅了し悩ませたのだろう。

それでは気になった箇所を挙げておこう。まとめることができないので、取り留めがありませんが、あしからず。

科学の歴史において、アインシュタイン1905年に成し遂げた偉業に匹敵するのは、唯一、1666年に23歳のイギリス人アイザック・ニュートンが成し遂げた仕事のみだろう。

と本書で書かれているほど、アインシュタインの業績は凄まじいものがある。20世紀最大の偉人と言える。

(一人目の妻であるミレヴァとの)娘が生まれたとき、アインシュタインはベルンにいた。彼はリーゼルという名前の娘と、ついに対面することはなかった。リーゼルがその後どうなったのか、養女に出されたのか、あるいは幼くして死んだのかは、今もわからない。

うーむ。意外な一面を見た気がする。ちなみに後にミレヴァとは離婚します。

ラザフォードには、科学者としての将来性を見抜くことにかけては気味の悪いほどの眼力があり、じっさい、彼の学生や共同研究者のなかから、12人のノーベル賞受賞者が出ることになった。

へぇ。ボーアもラザフォードに強い影響を受けた。

プランクの黒体放射の法則からアインシュタインの光量子へ、さらにボーアの電子の量子論からド・ブロイの物質の波と粒子の二重性へと、4半世紀以上にわたって繰り広げられてきた量子物理学の進展は、量子的概念と古典物理学との不幸な結婚から生み出されたものだった。

光は粒子なのか、それとも波なのか。この問題が多くの論争を産んだ。量子の世界は古典物理学が通用しない、まさに新世界なのだが、その当時はそのことが本当なのかどうかずっと議論されていた。

形の上でも、内容という点でも大きく異る二つの理論-一方は波動方程式を用いて波を記述し、他方は行列代数を用いて粒子を記述する理論-は、数学的には同じものだったのだ。

そうして、次第に波と粒子は併存する光の性質であることが分かってくる。波の性質を持つが、エネルギーは非連続。徐々に数学的に明らかにされていく。

ハイゼンベルクは、与えられた任意の時刻に、粒子の位置と運動量の両方を正確に測定することは、量子力学によって禁じられていることを発見したのである。

これがかの有名な不確定性原理だ。これが哲学的な問題にも発展していく。

(ボーアによると)量子力学は、測定装置とは独立して存在するような物理的実在については何も語らず、測定という行為がなされたときもに、その電子は「実在物」になる。つまり、観測されない電子は、存在しないということだ。

何となくヴィトゲンシュタインの 「語りえぬものについては沈黙しなければならない」という名言と親和性がある。観察されないと存在しない。

(ドイツでは)1933年までには、物理学会会員のおよそ4分の1理論物理学者の半数が、亡命に追い込まれた。1936年までに職を追われた学者は、1600人以上にのぼる。その3分の1は科学者で、すでにノーベル賞を受賞したか、またはその後に受賞する物が20名いた。

ドイツのナチスによりユダヤ人は迫害を受けた。偉大な頭脳は、職を奪われ、アメリカへと亡命していく。この頭脳流出がアメリカのプレゼンスを高める要因になったのかもしれない。そして職を追われた物理学者は、原子爆弾という兵器開発へと展開していくが、本書ではそこまでは描かれていない。

ボーアにはまず理論があり、次に哲学的な立場があった。その哲学的立場とは、理論が実在について何を語っているかを理解するために作り上げた解釈だった。アインシュタインは、何であれ科学理論を基礎として哲学的世界観を作ることの危険性を知っていた。新しい実験的証拠の光に照らして、理論に不十分な点があることが判明すれば、その理論に支えられていた哲学的な立場は崩れるからだ。

科学と哲学についてボーアとアインシュタインは異なる考え方を持っていた。科学理論があり、その上に哲学があるとするボーアと、それは危険であると考えるアインシュタイン。二人の論争の根っこは、哲学と科学の関係にある。

本書を読んで分かったのは、論争の緻密な中身ではなく、論争がありながらも、物理学者同士にある暖かな人間的な付き合いだ。本書に登場する多数の偉大な物理学者は、若い頃に苦労し、悩み、職に困っていた。良い師匠に出会い、影響を受け、新しい分野を切り開き、そして歴史に名を残す偉大な物理学者へと成長していく。

何となく知的エリートが素晴らしい環境で潤沢な資金を用いて研究をし、価値ある論文を書いて、教授になっていくというイメージがあった。実際にはもっと泥臭く、離婚をしたり、戦争に巻き込まれたり、同僚から理論を否定されたり、試験成績が思わしくないので分野を変えたり、就職活動に失敗したりと、一般人の人生と同じように順調ではない。

こうした物理学者の苦労や苦悩を知ることができたので、ちょっと親近感を持つことができた。

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(感想文の感想など)

2020121日に「量子技術イノベーション戦略」が決定された。ご関心のある方はお読みください。

現代社会において量子技術がイノベーションの源泉になるなんて、アインシュタインもボーアも予見していなかったことだろう。

日本は、アメリカ、中国、欧州との競争ゲームに果たして勝てるのだろうか。分厚い基礎研究をおざなりにして、1点集中突破しようとすると痛い目にあうのではと懸念している。