著者は理論物理学者であるポール・デイヴィス。20年くらい前に『タイムマシンのつくりかた』を読んだことがある。タイムマシンをつくる壮大な思考実験の本だった。
物理学者が生命について考えたというのが本書になる。
生命は何をしているか、それを説いた本はたくさんある。しかし本書は、生命とは何かに関する本である。(p.001)
題名にある悪魔とは、そう、マクスウェルの悪魔だ。ウィキペディアには『分子の動きを観察できる架空の悪魔を想定することによって、熱力学第二法則で禁じられたエントロピーの減少が可能』とある。
私の手元にペットボトルがあるが、これは生命ではない。中身のお茶も生命ではない。私自身は生命である。水分と入れ物で構成されていると考えれば、私とペットボトルは似たようなものであるが、生命と非生命で厳格に別物だ。
ペットボトルのペットとはポリエチレンテレフタレートのことで、水素と炭素と酸素でできている。生命にはほかの元素が使われているが、材料を比べてもそんなに隔たりはない。しかし、ゲノムを書き換えたり、合成生物学の衝撃(感想文18-20) にあるように「ミニマル・セル」を作れたりするようにはなったが、今の人類の技術では、材料だけから、生命を作ることはできていない。
新たな物理の扱う事柄が、「生命力」という単なるもう一つの力ではなく、物質と情報、全体と部分、単純さと複雑さを結びつける、もっとずっととらえがたい何かであることだ。その「何か」、それが本書の中心テーマである。(p.009)
もっとずっととらえがたい何かとは何だろうか。
生命と非生命を分け隔てるのは、「情報」である。(p.032)
生命の情報で真っ先に思い浮かぶのは、遺伝情報だろう。ATGCのコードによってアミノ酸がコードされ、タンパク質が作られるというセントラル・ドグマを初めて学んだ時に、衝撃を受けた。DNAが化学物質ということにも衝撃を受けた。
生命は、化学と情報に関する、たえず移りゆく二つのパターンの融合体といえる。これらのパターンは互いに独立してはおらず、組み合わさって協調と調和のシステムを作っており、そのシステムは見事に振り付けされたダンスによって情報のビットをあれこれと操作している。(p.087)
生命は化学と情報の融合体と言われて違和感はないが、じゃあウイルスとかどうなのよとなるが、その議論はウイルスは生きている(感想文16-16)を参考にどうぞ。
本書のキモは、もっと込み入ったというか、物理的学的な観点であり、
本書で取り上げるのは、次のような一つの疑問だけである。不気味な量子効果は生物の中でも起こっているのだろうか。(p.192)
となる。量子効果で思いつくのはトンネル効果だ。不確定性原理の『粒子の位置と運動量は確定することができない』ということで、壁の向こう側にも確率的に粒子が存在するということで、って書いてる本人もイメージしにくい。
とはいえ、生命でも非生命でもどちらも極めて微小な世界では量子効果は起きているはずだ。ではその効果が一体全体、生命にどういう影響を与えているのかということだ。
本書を読み進めていくうちに、がん、エピジェネティックな遺伝、嗅覚、神経細胞へと話が広がり、さらには意識や心脳問題やクオリアにまで進んでいく。
研究分野としては、量子生物学という名前がついているけれど、量子力学と生命科学が融合していく領域になる。実際に分子モーターの研究は、まさにこの分野になるし、さらに将来は応用量子生物学へと発展していくことだろう。
それでも意識の存在は量子力学で証明されるのだろうか。脳のなかには幽霊がいて、生物の中には悪魔がいるのだろうか。