40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文14-14:毒ガス開発の父ハーバー 愛国心を裏切られた科学者

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※2014年4月11日のYahoo!ブログを再掲。

 

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炭素文明論(感想文14-11)によると、ハーバーは毒ガス開発に携わっていたとのこと。偉大な科学者がなぜ毒ガス開発に手を染めたのか。気になって本書を手にした。

フリッツ・ハーバー(1868-1934)はユダヤ人。同じ年生まれは、尾崎紅葉秋山真之横山大観

ハーバーはいくどとなく失望の涙を流しながら、くじけなかった。地位を求めて自分を売り込む一方で、しかし社会に対しては一種の順応主義者だった。

ドイツでユダヤ人は差別を受けていた。そのため、ハーバーは非常に優秀であったが、なかなか大学の職に就くことはできなかった。ユダヤ教からプロテスタントに改宗し、少しでもポストを手に入れる可能性を高めようとした。

珍しいことにハーバーは、結局、一生を通じて本当の師らしい師を持たなかった、ほとんど独学の研究者であった。(中略)研究スタイルはいわば「一匹狼」に似ていた。

独学スタイルで当時不可能と言われていた空中窒素固定法を発明した。今でもハーバー・ボッシュ法として知られる非常に有名なアンモニアを生産する方法だ。

そんな偉大な科学者であるハーバーだが、ドイツにおけるユダヤ人として苦悩していた。祖国を愛し、その愛を証明するために軍の毒ガス開発に協力するようになった。

しかし、『才女だが内向的で神経質な』妻クララが自殺する。夫が毒ガス開発に手を染めるのを許すことができなかったのだろう。ちなみに、後に若く『陽気で機知に富み社交的なシャルロッテ』と再婚するが、晩年に離婚する。

当時全ドイツ人の約1%にすぎなかったユダヤ人の約17%に当たる10万人が兵役につき、うち1万2千人が戦死したというのは、いかに彼らがドイツを共通のアイデンティティとしていたかを示しているものだろう。

改宗したり、兵役に就いたり、毒ガスを開発したり、当時のドイツにおいてユダヤ人はドイツのために血を流していた。ヨーロッパにいない私には今ひとつユダヤ人のことがよく分からない。そもそもユダヤ人の知り合いもいない。それでも国を愛し、国に尽くし、妻に死なれ、そしてナチスの台頭により裏切られていくハーバーの姿は非常に切なく映る。

ドイツ軍が「黄十字」と呼び、イギリス軍がその特異な臭いからマスタード・ガスと名づけ、のちに発射された場所イープルに因んでフランス軍によってイペリットと呼ばれることになる。

イペリットって地名から名付けられたのかぁ。正確な物質名は、ジクロロジエチルスルフィド(硫化ジクロロジエチル)。村上龍さんの共生虫で登場したので、そのイペリットという名称を覚えていた。

第一次世界大戦(1914-18)でドイツは負ける。毒ガス開発に貢献したハーバーはその責任を問われることになる。またドイツも賠償金の支払いなどでドイツの財政は傾き、研究活動は停止する。

そんなどん底状態のドイツを支援したのが、星一(ほし はじめ:1873-1951)だ。星は後藤新平(感想文12-40)と深い親交があり、後藤はドイツに留学経験があった。そうか、後藤新平とつながりがあったとは。ちなみに星一の息子はかの有名な星新一とのこと。うーむ、不思議なつながりだ。

そうしてハーバーは星の求めに応じて、来日する。1924年のこと。

陸海軍はひそかに星を通じて、毒ガスと空中窒素の講義をしてくれと依頼して来た。

確かな証拠はないものの、どうやらハーバーは星に恩義を感じ、そして、毒ガス開発について軍に教示したかもしれない。

もう一つハーバーと日本には縁(悪い意味で)がある。叔父のルートヴィッヒは日本で1874年に殺害されているのだ。ルートヴィッヒはドイツ領事であり、排外思想の旧秋田藩士によって斬殺される。当時は大変な事件になっただろう。叔父を殺された地に対してハーバーはどんな気持ちでやって来たのだろうか。

晩年のハーバーはタイトルにあるように祖国に裏切られ、国外追放の憂き目に合う。研究所から離れる1933年10月3日のハーバーの惜別の言葉は、

我が提言とレオポルト・コッペル財団の基金によって建設された22年間、平和時には人類のため戦争時には祖国のためつくしてきた研究所に別れを告げる。(後略)

というものだ。平和時には人類のため戦争時には祖国のため、という言葉に胸を締め付けられる。パスツールの『科学に国境はない、科学者に祖国はある』という言葉は、ある種の愛国心を想念させるが、戦時には暗い影を落とすこともあるのだと知った。

戦争は科学技術を進歩させるという言説がある。これは半分真実であるが、半分は間違っている。たとえば第一次、第二次両大戦中、アインシュタインのような例外を除けば大多数の科学者が戦争に協力させられた。だが彼らが発展させたのは兵器の開発・改良を目的とした技術であり、そのためにむしろ科学の研究は停滞したのである。そしてその科学技術が、戦争のあり方をいよいよ悲惨に、深刻化したことだけはいえるであろう。

ふーむ。軍事研究が応用された例(ウェブやGPSなど)は確かに多い。アメリカのDARPA(国防高等研究計画局)がイノベーションに大きく貢献しているという話も聞く。

確かに社会貢献につながった研究もあるだろうが、一方で、より大規模で効率的な殺戮へとつながった研究がたくさんあるのだろう。

ハーバーは毒ガス開発によって戦争の終結が早まると考えていた。しかし、実際には敵国も同様の兵器を開発し、むしろ戦争を長期化させ、被害を拡大させた。圧倒的な兵力により戦争を終結させるというアメリカの自分本位な考えは、テロに怯える日常を生み出したのかもしれない。

人間は愚かだ。多くの血と死をもってしても未だ戦争は続いている。ハーバーはその時代の被害者でもあるし、また加害者でもあろう。そこにはっきりとした線引きはできないし、したくもないが、ハーバーが偉大な科学者であったということも真実だ。

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(感想文の感想など)

ハーバー・ボッシュ法は偉大な発明であるが、化学反応を進めるためには高温高圧条件が必要であるため、多くのエネルギーを要する。つまりは環境によろしくないのだ。

現在、多くの研究開発機関や大学で研究されているが、現行の生産方法を塗り替えるまでには至っていないのが現状だ。