先日、健康診断に行ってきた。例年だと社内で行われるのだが、新型コロナウイルス感染症流行の影響を受け延期となり、「密」をさけるため指定の健診医療機関での受診となった。
新宿にある健診センターで、ものすごくシステマティックだけどスムーズな健康診断を受けることができた。何だか自分がモルモットになった気分で、言われるがままに着替えをし、X線で撮影され、採血され、心電図を測られ、身長体重血圧視力が調べられ、最後に軽い問診を受ける。健康診断が一大産業になっている現実を目の当たりにし、なるほどこういうビジネスは今後も長く儲かるだろうなと感心しきりだった。
感染症は世界史を動かす(感想文08-16)では感染症と歴史の関係について書かれていた(今気づいたけれど、著者が「コロナの女王」の岡田晴恵さんだった)。
本書では、国際政治と感染症(以外の病も含まれてる)の関係について書かれている。
人類と病との闘いは、保健医療という専門的な領域内のみで動いているものではなく、大国と中小国のパワーの非対称性、先進国の製薬会社の動向、世界経済の動向など、国際社会の様々な要素によって、常に挑戦を受けている。本書はこうした問題関心を出発点として、人類と病との闘いを、個々のテーマを通して、読み解いていく試みである。(p.ⅳ)
私も大学院の頃に、国際保健について学んだ。当時、大きなテーマになっていたのは、AIDSだ。若かった頃の私は、国際という観点で病気を見ることができていなかった。感染経路や症状や原因や治療法について関心はあったが、国際保健さらにはその背景にある国際政治にまで考えを深めることは全くできていなかった。
そして今では、国家間の枠組み国際保健(International Health)から、国家以外の組織である企業や財団やNPOを含むグローバル・ヘルス(Global Health)へと複雑さは増している。コロナでWHOに批判が集まりがちな昨今、改めて本書から最新のグローバル・ヘルスについて学んでみようと思い、購入した1冊だ。気になった箇所を引用してみよう。
1980年5月WHOは天然痘の世界根絶宣言を行った。ちなみに「根絶」されたことの意味であるが、ドナルド・ヘンダーソンによれば、地球上から天然痘ウイルスが完全に消滅されたことを意味するのではなく、人類の間でウイルスの感染が見られなくなったことを意味する。(p.79)
国際協力による感染症対策で最も成功したのは、天然痘と言える。天然痘はウイルス感染症で、原因となる天然痘ウイルスは分類上、ポックスウイルスに属し、2本鎖のDNAウイルスでエンベロープ(膜状の構造)を持っている。
(ポリオは)なぜまだ根絶に至っていないのか。(中略)患者を発見しにくいという問題点がある。(中略)ポリオはポリオウイルスに感染したすべての人に麻痺症状が出るのではなく、またその麻痺症状がポリオウイルスによるものか否かを見極めるのも難しいという。(p.89)
一方で、似たようなウイルス感染症であるポリオ(急性灰白髄炎)は、根絶には至っていない。残すところ常在国はパキスタンとアフガニスタンの2カ国であるが、ワクチン接種が進み、根絶されることを願うばかりだ。なお、ポリオウイルスは、1本鎖のRNAウイルスでエンベロープはなくカプシドで覆われている。構造は非常にシンプルだと言える。
ちなみに昨今話題のコロナウイルスは、1本鎖のRNAウイルスでエンベロープを持っている。ポリオウイルスとコロナウイルスは分類上、結構近いのだ。
一方で、ウイルス性ではない感染症がある。最も有名なのはマラリア(感想文17-34:人類50万年の闘い マラリア全史参照)だろう。
マラリア対策において、もはや根絶は目指すところではなく、新たな感染者の数を減らしていくことに目標は切り替わってきている。WHOは2030年までにマラリアによる乳幼児の死亡率を90%以上減少させるという具体的な目標を掲げている。(p.102)
マラリアには多くのお金が投入されており、患者数も死者数も大幅に減少したが、根絶は現実的ではないと判断されている。
マラリアは媒介物が存在するため、天然痘やポリオとは異なり、ワクチンだけで根絶できない難しさがある。(中略)有効なワクチンや治療法が登場しても、それらが知的財産保護の枠組みのもとで高価であるため、マラリアが流行しているアフリカの人々にとっては、高嶺の花であり続けている。(p.104)
マラリア対策は、診断、治療、ベクターコントロールの3つと言われている。治療薬やワクチンは高価格にならざるを得ない構造になっている中で、コスパ的に最も効果が高いのは蚊帳である(感想文17-50:日本人ビジネスマン、アフリカで蚊帳を売る参照)。感染症対策は、何も治療薬やワクチンといった最先端の科学技術の結晶でなくともできることはあるのだ。
感染症が各国の安全保障に影響を与えうるということは、感染症に対して、政治指導者による、政治的な関与が増えることを意味する。つまり感染症対策に国際政治が反映されるようになる。(p.142)
今回の新型コロナウイルス感染症への各国対応はまさに政治指導者による関与の好例となっている。日本では首相だけでなく、都道府県知事も大なり小なり関与があり、給付金、休業支援、観光支援事業、外食産業への支援事業ほか、ライトアップによるアラート、安全対策かるた、イソジンでうがいすれば大丈夫説の発表など、一体誰が考案し、一体誰がゴーサインを出したのか疑問が残る施策が連発された。海外でも大統領が感染したり、マスクを拒否したり、ロックダウンしたり、集団免疫を獲得するためにノーガード戦法を採用したりと、様々だ。
人類と病との闘いの歴史は、国際協力の重要性が認識された歴史でもあった。他方、いったん国際的な協力枠組みが形成されると、そこは国家、国際機関、財団、民間セクター等、多様なアクターが関わる複雑な政治アリーナと化してきた。(p.218)
新型感染症や生活習慣病に対応するために、国際協力は必須で、だからこそ政治アリーナが形成されている。人類は病から逃れるためにかなりのコストを支払っているのだが、健康なときは認識されにくい。昨今のコロナ禍に陥った場合に、国際協力の重要性とそこにどのくらいコストを支払ってきたかが問われる。
アフターコロナなのかウィズコロナなのか、世界はどう変わっていくか予断を許さないけれど、政治アリーナでのしっちゃかめっちゃかをしばらくは見続けることになるだろうし、そういう状況になってしまう構造があるということを理解した上で、乗り越えていくしかない。
いつかコロナは収束するのだろうけれど、まだまだ時間がかかるだろう。