40代ロスジェネの明るいブログ

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感想文16-04:イルカ漁は残酷か

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※2016年3月2日のYahoo!ブログを再掲

 

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6年近く前に読んだ本世界クジラ戦争(感想文10-34)では、外交問題としての捕鯨について書かれていた。そこで、『日本のイルカ漁が残酷だとして映画化される』という話があったが、それが『ザ・コーヴ』(The Cove)で、ウィキペディアによると『2009年に公開されたアメリカ合衆国ドキュメンタリー映画。監督はルイ・シホヨス。和歌山県太地町で行われているイルカ追い込み漁を描いている。コーヴ(cove)は入り江の意。PG-12指定。』とのこと。映像の残酷さから年齢制限がついた映画だ。

日本の捕鯨が非難され、今度はイルカ漁が非難される(マグロ漁も非難されている)。

なぜそこまで躍起になってクジラやイルカを保護しようとするのか、なぜシー・シェパードのように暴力行為によって自然保護を訴えるのか、多くの日本人は理解できない。

他方で、同じ日本人でありながら、日常的にクジラやイルカを食べてはいないので、そこまでクジラやイルカ漁にこだわらなければならないのかも、多くの日本人は理解できない。たいして馴染みのない食文化や歴史が、国際的な非難を無視してまで推し進める理由になるのかも分からない。

商業捕鯨とイルカ追い込み漁は、理解できない、を通り越して、理解したくないにまでこじれにこじれてしまっている。そういう中で本書は、イルカ追い込み漁をテーマにして、丁寧にその歴史的背景をひも解き、現状を整理し、新しい視座を与えてくれている。気になる箇所を挙げておこう。

この町(和歌山県東牟婁郡太地町)では、毎年1,000頭ほどのイルカが捕えられ殺されている(中略)例えば、2013年、和歌山県ではバンドウイルカなど4種類のイルカ992頭、イルカより大型になるゴンドウ3種435頭、計1,427頭が捕獲され、水族館に売られた172頭をのぞく全頭が食肉として屠殺されたが、その約9割が和歌山県太地町における捕鯨業の結果である。

ここでのポイントは、イルカが1,000頭以上も捕えられ殺されているということではなく、172頭も水族館に売られたということだ。イルカは食用というだけでなく、展示用としても重宝されている。そして、生きたまま捕まえるためには、追い込み漁という高度な漁法が活用されている。

多くの人がイルカと聞いて思い浮かべる、鼻先が伸びてかわいい笑顔を浮かべている(ように見える)愛らしいバンドウイルカなどのイルカが日本の沿岸捕鯨で捕獲される割合は10%に満たないが、しかしそのほとんどすべてが和歌山県で、しかもその大部分が、屠殺の現場が陸から見える太地町の追い込み漁で殺されている。

追い込み漁は生きたイルカを捕獲するのに必要な漁法なのだが、それ以外の食用とするイルカへの屠殺方法は、凄惨に映るのだが、その状況が陸から見えてしまう。要するに沖合で捕まえて殺してしまえば、目立たないのだけれど、入江に追い込んで、屠殺して血の海になるのは、惨たらしくショッキングだ。

イルカが他の動物に比べて賢いとか、可愛いイルカを殺すなんて許せないとか、そういう次元の話ではなく、動物から大量に出る血が惨くて酷いという極めてプリミティブな忌避感がある。見えなければ、映像として全世界に出まわらなければ、追い込み漁への批判はこれほどまで大きくならなかっただろう。

傲慢不遜な彼らに対する反発から、私たちのなかからイルカ漁について虚心坦懐に考えようとする機運が失われてしまったこともまた事実である。

追い込み漁の映像を見ると、本書の題名の疑問である「イルカ追い込み漁が残酷であるか」と問われれば、「残酷である」と答える人がほとんどだろう。

しかし、いくら残酷であったとしても、漁民やその町に暮らす人たちに危害を与えたり、プライバシーを侵害するようなことがあると、素直に聞き入れることが難しくなる。

ケイトらの行動の背景にアメリカ的覇権主義があるとするなら、この反論の底流にあるのは、グローバリズムとは対極にあるローカリズムであり狭量な島国根性である。(中略)外国人運動家の主張に対してアメリカ的覇権主義や人種差別的感情が根底にあると決めつけ、イルカの殺処分について動物福祉的・道徳的な問題の存在を一切認めようとしない日本側。

「惨いイルカ漁はやめろ」というグローバリズムと「よその国の漁法に口を出すな」というローカリズム。イルカ漁に限らず、日本に限らず、様々な問題でグローバリズムローカリズムは衝突している。追い込み漁が国際的に追い込まれていき、結果的に2015年5月に追い込み漁で捕らえたイルカを飼育するのは倫理規範違反という世界動物園水族館協会(WAZA)の決定に日本動物園水族館協会(JAZA)は従うことになった。だが、2015年9月に太地町くじらの博物館は、JAZAを退会している。

水族館は商業主義的な傾向が強いのも動物園との大きな違いだ。 

考えてみると都内に水族館は、結構たくさんある。全国にも大きな水族館が新しくつくられている。というのも『アクリル水槽と人工海水の開発という技術的なブレイクスルー』があり、新規参入がたやすくなったという背景がある。

しかし、動物園とは異なり、展示する動物を繁殖して、増やすことはあまり進んでいない。『水族館は総体としてはいまだに海洋資源を消費している。』というとおり、イルカは追い込み漁による入手に頼っているというのが現状だ。

水族館でイルカショーを見ても、このイルカたちがどこでどのように捕まえられ、どうやって運ばれてきたかは知らない。追い込み漁は、生きたままイルカを捕獲しようとした多くの人たちが懸命に生み出した漁法だ。

動物により高度な福祉を与えようという動きはグローバルなもので、解決できない矛盾と滑稽さを含みながらも、決して止まることのない大きな潮流なのだ。

潮流は変わってしまっている。クジラ、クロマグロ、ウナギが保護の対象となっている。そして、今やイルカが追い込み漁で捕れないほど頭数が減ってきている。動物への福祉という観点からイルカの保護が求められてきたが、今では海洋資源の管理という観点も加わりつつある。

イルカ漁の歴史、水族館とイルカショー、ビジネスとしての水族館、追い込み漁とイルカ生体捕獲。捕まえて食べるというシンプルな関係性だけでない、人とイルカの関わり方について、日本人である私たちは丁寧に考えていく必要があるだろう。

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(感想文の感想など)

www.sankei.com

2018年4月4日の産経新聞によると、太地町くじらの博物館を含め、新江ノ島水族館、しのもせき水族館「海響館」、京急油壺マリンパークなどの6施設がJAZAを脱退している。

イルカの繁殖の技術的な障壁が脱退させるインセンティブになっているが、日本国がIWCを脱退したので、捕鯨文化とバッティングしているJAZAの方針になぜ従わないといけないのかと主張できてしまう。

記事検索したところ、最近は問題が拗れすぎてメディアがあまり取り上げない話題になっているようだ。