40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文22-18:ライト兄弟

 

会社の方にお勧めされて読んでみた本。タイトルそのまま、誰もが知っているライト兄弟についての本。まず、訳者あとがきから引用しておこう。

ライト兄弟は日本人も敬愛を寄せてやまない偉人である。アメリカ人としては、発明王エジソンと並び、偉人中の偉人として変わらぬ支持を得てきた。(p.374)

ライト兄弟とはウィルバー・ライト(1867-1912) とオーヴィル・ライト(1871-1948)のことだ。兄ウィルバーと同じ年生まれは、夏目漱石豊田佐吉南方熊楠フランク・ロイド・ライト幸田露伴正岡子規、マリ・キュリーなど。弟オーヴィルと同じ年生まれは、志賀潔アーネスト・ラザフォード国木田独歩幸徳秋水など。

もう一か所、あとがきから引用する。

それまで常識とされた科学原理が一蹴され、革新的な技術によって新しい時代の扉が解き放たれた瞬間でもあった。重力に逆らい、空中を自由に飛翔する技法と技術が、その後、長足の進歩を遂げていったことについては改めて触れるまでもないだろう。1903年の初飛行から66年、同じくオハイオ州出身の飛行士が月面に降り立った。(p.375)

ライト兄弟は、言わずも知れた世界初の有人飛行に成功した人物だ。彼らは日本だと大政奉還のあった江戸末期に生まれ、1903年明治36年)に有人飛行を成し遂げている。本書を読めばいかにライト兄弟が偉大なのかよくわかるだろう。ちなみに66年後、つまり1969年に月面に降り立ったオハイオ州出身の飛行士とは、ニール・アームストロング船長である。

このころから半世紀前のあいだ、ライト兄弟が登場するはるか以前の時代、自称“大空の覇者”と、彼らが搭乗する奇妙で子供じみた飛行機械は、新聞の息抜きページの格好の話題として根強い人気を誇っていた。(p.50)

かつて人は空を飛べないのが常識だった。明らかに飛べやしない構造の飛行機で琵琶湖に墜落する姿を楽しく眺めるのが昔(30年以上前)の鳥人間コンテストだった。今では、2.5時間で60キロを人力プロペラ機で飛行する人が出てきて、これはこれで人間の能力の凄まじさを思い知らされる。

ライト兄弟に話を戻すと、

兄弟にはこれという学歴はない。技術訓練を正規に学んだこともない。兄弟以外の人間といっしょに働いたという経験もなかった。有力者の知人、資金の協力が仰げる先、政府の資金援助の伝手もない。(p.52)

ということで、独学でありながらも、緻密で執念深く、そしてあくまで科学的に飛行を追求した。兄弟の本業は自転車屋で、その稼ぎを使って研究を続けた。何かを成し遂げるのに必要なのは、お金でも経験でも人脈でもない。成し遂げたいという強い思いが必要なのだ。

1901年秋、リリエンタールやシャヌートの計算にそれまで寄せてきた信頼が破綻したことで、兄弟自身が航空学をめぐる暗号解読を始め出した。それは二人の勇断であるとともに重要な転換点となるものだった。(p.99)

ライト兄弟は、この時代に、翼の表面にかかる「揚力」と「抗力」を正確に計測するために、小規模な風洞装置を自作する。定説や既存のデータを疑い、自らの手で切り開いていく。風洞実験を繰り返した上で、飛行機械を設計し、有人飛行を繰り返し行う。どこでも飛行実験ができるわけなく、絶えず安定した強風の吹く遠い場所まで飛行機械を運び、組み立て、実験するために生活できる住環境を整え、飛んでは落ち、落ちては直し、飛行機械を調整し、操縦技術を磨いていった。

1903年のこの日、寒々たるアウターバンクスの強風のなかで起きていたのは、わずか2時間にも満たないつかの間の出来事だったが、それは歴史の転換点となる事件のひとつだった。世界にとっては変革の幕開けであり、しかもその変革は、かりに現場に立ち会えたとしても当人の想像をはるかにうわまわる巨大なものだった。ウィルバー・ライトとオーヴィル・ライトは、独自に製作した機械で人間は空を飛べる事実を明らかにした。その事実に世界はまだ気づいていないとしても、二人は確かにやり遂げていたのだ。(p.153)

1903年12月17日に有人飛行に世界で初めて成功する。しかしその歴史的な転換点である有人飛行成功の瞬間を見れたのはわずか5人であった。そして、この偉大な出来事が後に引き起こす事態を予見できた人は兄弟含めて誰もいなかった。

ライト兄弟の成功は母国アメリカでなかなか受け入れられなかった。なぜなら、国家プロジェクトとして行われた有人動力飛行は失敗に終わっており、結果的に栄光をかっさらったと妬まれ、アカデミアでのエスタブリッシュメントの一部からあらぬ非難を受け、また特許紛争に巻き込まれる。

しかし、ライト兄弟はヨーロッパで飛行トライアルを披露し成功を収め、兄弟の技術はヨーロッパで認められる。その後、飛行技術は格段の進歩を遂げていくのだが、飛行機械は旅客機でなく、兵器として発展していく。

これはこののち明らかになっていくことだが、兄弟が見たヨーロッパはほぼ完璧をきわめた時代を迎えていた。繁栄と平和が支配し、大勢のアメリカ人がヨーロッパというものを発見した時代である。<中略>それは近代化によって機甲化された兵器の恐怖に見舞われる前のヨーロッパである。(p.317)

ライト兄弟と妹のキャサリンが過ごした美しいヨーロッパを破壊したのは、爆撃機のような近代兵器だった。自らの発明が、これほどまでに多くの命を奪い、文化遺産である街を破壊することになるとは思っていなかっただろう。

私自身、何度も飛行機に乗っているのに、空港で飛行機が離陸する瞬間を見ると驚きと安堵が入り混じる。人が空を飛ぶこと。いつの間にか当たり前になっているが、今でも鳥人間コンテストが開催されているように、人が空を飛ぶこと、それ自体に感動や驚きが詰まっている。

本書の副題は、「イノベーション・マインドの力」である。有人飛行の成功はまさしくイノベーションと呼べる瞬間だった。しかし、それに見合う富や名声を兄弟は十分に手にしたわけではなかった。意図せず多くの人の命を奪う兵器への発展の起点ともなった。

それでも現代においてもライト兄弟のマインドから学び取る点は多い。敬虔なクリスチャンである勤勉さ。果てしない試行錯誤とトライアンドエラー。兄弟、妹、父といった応援してくれる家族の存在と強い信頼関係。お金がないからこその創意工夫。権威を妄信せず、あくまで科学的な手法の徹底。

本書はライト兄弟による飛行機械の開発史を丹念にたどり、開発の面白さと苦しさを余すところなく描いている。

本書を読みながら、「紅の豚」の映像が何度も浮かび上がった。青い空の下で美しい街を飛ぶ飛行機械。改めて「紅の豚」を見直してみたい。