40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文23-18:科学技術の軍事利用

「新しい戦前」という言葉がにわかにバズり、私も業務上、経済安全保障や防衛力強化というワードを耳目にする機会が増えている実感がある。

以前から科学と戦争は、私にとって気になるテーマである。気になる理由は興味があるからではなく、できることなら関わらずに一生を終えたいがために、どうすれば適切な距離を取れるのか、万が一、関わることになってしまったとしてもどうすればうまくフェイダウェイできるのか、具体的な対処法を知りたいのだ。

広く社会や人類のために何かしら貢献したいと考え今の仕事をしているので、戦争や軍事にはなるべく関わりたくないというのが正直な気持ちだ。

残念なことに間接的ではあるが仕事で関わりが出てきて、日々もやもやしていたところ、本屋で本書を見つけ、読んでみることにした。著者の橳島(ぬでしま)さんとは面識があり、こうして新しく本を出版され、ご活躍されているのを知って嬉しく思う。私のことは辛うじて覚えてくださっていることだろう。

これまでに精神を切る手術(感想文12-61)移植医療(感想文14-43)を読んだことがある。他にも読んだ気もするのだけれど、感想文として残っていない。

これまで科学と戦争に関連する本としては、科学者と戦争(感想文16-33)がある。本書でも言及がある。

宇宙物理学者の池内了は、戦争と軍事研究が科学を発展させることはありえないと述べている。<中略>これに対して安全保障専門のジャーナリスト、アーネスト・ヴォルクマンは、自然界の秘密を解き明かす「純粋」科学と、解き明かされた秘密を戦争に用いる「応用」科学ないし技術開発は別物だとして、軍事による破壊的な利用から距離を置きたがるのは、純粋科学の主流派の悪い癖だという。(39-40)

なるほど。アーネスト・ヴォルクマンさんの本も読んでみたい。戦争それ自体が厳密な意味での「科学」に貢献しないとする主張に私は首肯するが、軍事研究予算が科学の発展に貢献することは十分にあり得ると考える。もちろんピュアな科学予算が減らされ、軍事研究予算が増える現状を極めて残念だとは思っている。

2015年、技術研究本部を防衛装備庁に移管統合し、同庁を通じて大学などの民間での研究開発を助成する、安全保障技術研究推進制度を開始した。こうして日本では、軍事利用可能な民生分野の研究を取り込む体制の整備が進められた。(39)

なるほど、そういうことだったのか。防衛装備庁のHPには2022年度の採択課題(PDF)が載っている。応募総数102課題のうち24課題が採択されている。採択率が約23%の狭き門である。

応募者の所属は、半数以上が民間企業、残るが国立の研究機関と大学だ。これらの採択課題が科学を発展させることは十分にあり得ると私は考える。

2011年にDARPAは、軍事的に重要な技術の進展をもたらす社会的・倫理的問題について検討する初めての委員会を主催した。<中略>世界的な影響力のある軍事科学機関の社会に対する姿勢のこうした変化が、軍民両用研究の透明性を高め、市民が関心を持ち注視するよう促すことを期待したい。(61)

DARPA(Defense Advanced Research Projects Agency:アメリカ国防高等研究計画局)は、軍隊使用のための新技術のR&Dを行うアメリカ国防総省の機関である。DARPAが社会的・倫理的問題について検討委員会を主催しているという事実に大変驚いた。軍事研究というと闇に包まれ、機密事項ばかりで、倫理的問題はなおのこと、社会的問題について気にしているだなんて思いもしなかった。

自分の研究成果がどのように利用されるかに研究者はもっと注意を向け、その是非の判断に積極的に関わるように努めるべきだ。科学研究に携わる者には、職業倫理として、立案、実施から結果の発表に至る研究の全体が最適に行われること(リサーチ・インテグリティ)が求められる。成果の利用のされ方に注意を払うことも、研究の全体の一環だと考えるべきだろう。それが軍民両用に向き合う科学者の倫理だといえる。(71)

DARPAですら社会を気にかけている一方で、研究者はどうか。成果の利用のされ方を気にかけていない研究者が大多数なのではないか。果たして社会から乖離しているのはどちらか。そんな厳しい問いかけにも聞こえる。

純粋な基礎研究を志向する研究者が「戦争は科学に貢献しない」とか「基礎研究なので戦争に使われることはない(し、産業にも社会にも貢献しない)」と発言するのは正しい面もあるが、その高潔さと潔癖さは、科学と社会をさらに乖離させ、時には傲慢さに映り、特権意識を滲ませる。

軍と国防機関が行うことに対し背を向けタブー視するのは、百害あって一理なしだと私は考える。研究者としても一市民としても、軍が戦時だけでなく平時にもやっていることを偏りのない観点から捉え、評価するべきである。それなしに真の批判はありえない。(196)

百害あって一利なしではなく、一理なしとしているところが、著者のこだわりではないだろうか。左派系の新聞がアカデミアの軍事研究を殊更に批判してきた経緯がある。過去の大戦の歴史が反動になっているのだろうが、「新しい戦前」感が出てきた今だからこそ、きちんと評価する必要がある。

本書はタイミングよく読めたこともあり、私にとっては救いとなった。戦争に関わること=悪ではなく、人類の歴史を通じて一貫して「科学・技術を常に振興し利用することが、軍事的優位を保つ鍵となるという考え方」が維持されてきている。研究者本人の知らないうちに研究成果が戦争に利用される場合もある一方で、科学・技術の軍事利用について社会に問いかけることも行われている。

戦争は嫌だし、戦争は起きて欲しくない。しかし、タブー視してはまともに批判もできない。科学技術の軍事利用は望ましいことではないが、歴史を鑑みて数えきれないほどの戦争を繰り返してきた人類の本質を考えるうえで、避けては通れない営みでもある。今も世界のどこかで戦争は起きているのだから。