40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文12-14:絶望の国の幸福な若者たち

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※2012年3月26日のYahoo!ブログを再掲。

 

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もうぼくは若者ではない。

結婚し、子どもが生まれ、役職も与えられ、部下がいる。年長者からはまだまだ若造扱いされるけれど、さすがに若者という認識はない。

若者とバスケをすることがよくある。バスケのあとはよく一緒に飲む。草食系とか覇気が無いとか生きる気力がないとかゆとり世代とかまあ世間では批判的に言われる。

しかし、若者の多くは親切で、合理的で、近しい友人や家族を大切にする。人の悪口や文句を言わず、素直で、優しい。そして多様だ。自分についてもそうだけれど、特定の世代をひとまとめにするのは無理がある。すでに自分の息子の世代ですらそう思う。保育園では1学年に1人はハーフの子がいる。自分の世代では考えられなかった。人種(という幻想)ですら画一でない。もう○○世代と呼ぶのはやめにした方が良いだろう。

前置きが長くなってしまった。著者の古市憲寿さんは、何と1985年生まれ。現在、26歳。若い。いや~若い。一若者からこういう意見が出されるっていうのは良いことだと思う。そしてタイトルが良い。本の売れ行きはタイトルで決まる。こんな絶望的な国の日本でどうして若者が幸せなんだろう。

せっかくなので印象に残った箇所を挙げていこう。

現代の若者の生活満足度や幸福度は、ここ40年間で一番高いことが、様々な調査から明らかになっている。(中略)日本の若者の7割が今の生活に満足しているのだ。

ほええ。こんなに就活が厳しく、非正規雇用でいつクビが切られるかもわからず、給料も少なく、ストレスばかりだろうに。まあ、今思うと、ぼくも若い時代(20代)は別にその状況に絶望はしてなかったかな。

若者に広まっているのは、もっと身近な人々との関係や、小さな幸せを大切にする価値観である。

それはよく分かる。若者って家族とか友人が大事だよね。若者の歌う歌詞にもよくでる。だから幸せなの?いやそうじゃないみたい。

将来の可能性が残されている人や、これからの人生に「希望」がある人にとって、「今は不幸」だと言っても自分を全否定した事にはならないからだ。逆に言えば、もはや自分がこれ以上は幸せになるとは思えない時、人は「今の生活が幸せだ」と答えるしかない。

現状を否定したくないから逆説的に幸福だと表明する。

人は将来に「希望」をなくした時、「幸せ」になることができるのだ。

これは恐ろしい。絶望を植えつければ幸福が実現する。ぎょえぇ。若者が今幸福ですという背景にはさらに悪くなるかも知れない予感が含まれているんだ。

僕は幸せの条件を、「経済的な問題」と「承認の問題」の二つに分けて考えていることになる。

ほうほう。「幸せって何だっけ」というCMがあったなぁ(知っている時点で若者ではない)。簡単に言うと、お金に余裕があること、そして誰かから必要ですって言われること。

貧困は未来の問題だから見えにくい。承認欲求を満たしてくれるツールは無数に用意されている。

ふむふむ。本当に生活が苦しくなるのはもうちょっと先だろう。若い時代にはそんなにお金は必要でないものだ。そして、SNSとかで簡単に誰とでも繋がるし、すぐに「いいね」って言ってもらえる。そういう観点からすると7割の若者はまあ幸せなのだろう。

しかし、残りの3割にはものすごい不満がどろどろと底流しているんじゃなかろうか。それが時として秋葉原や広島で無差別的な悪意として発生する。経済的にも行き詰まり、誰からも承認されない。そういう状況で辺り構わず負のエネルギーを発散する人間が出てくるんだろう。

一人一人がより幸せに生きられるなら「日本」は守られるべきだが、そうでないならば別に「日本」にこだわる必要はない。だから、僕には「日本が終わる」と焦る人の気持ちがわからないし、「日本が終わる?だから何?」と思ってしまうのだ。歴史が教えてくれるように、人はどんな状況でも、意外と生き延びていくことができる。

若者は存外ドライになりがちだけれど、これについてはぼくも賛同する。別に間違っちゃいない。物心ついた頃から日本は低迷していて、世界では存在感がなく、日本を意識するのはせいぜいワールドカップやオリンピックの時だけ。借金は増えるばかりで、未来に希望なく、国に期待はしていない。そこそこの幸せを守れればそれでいいし、それしか望んでいないのだから愛国心なんかを求められては困る。

日本には期待していない。だから私たちにも期待するな。これが本心じゃないだろうか。

震災で日本が一つになったというのは幻想だ。はっきりしたのは未来にさらにお荷物が増えたということだ。奪われ押し付けられる側にとって、その土地で生きることは必ずしもその国を守ることを意味しない。

関係性が希薄になり、幸せの範囲が狭まり、未来を望まない。そういう人間が多数になった時、つまり年老いた時に、若い世代にどういうことを言うのだろうか。国は信用するなとか言うようになるんだろうか。

様々な変革が世界各地で起きようとしている。日本では血が流れるような変革はないだろう。静かに淡々と国の力を弱めていくことは変革に繋がるかもしれない。希望があるから絶望もあるのだ。未来を望まない若者は絶望をせずにすむ分、幸福なのかもしれない。

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(感想文の感想など)

若者の幸福論。私の子供たちは幸せそうだけどなぁ。