40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文11-16:無縁社会―“無縁死”三万二千人の衝撃

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※2011年4月29日のYahoo!ブログを再掲。

 

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このブログでは過去にも「死」に関するテーマを頻繁に取り上げてきたように思う。

死について興味があるというわけではない。現代は死から隔離されているので、死を意識しないと生の意義が乏しくなるから、こうして繰り返し取り上げているように思う。

死にまつわる数字には強烈なインパクトがある。

  • 日本の解剖率は2%。
  • 年間3万人の自殺者。

そして本書で、日本の死の現場で、新しい数字が付け加えられた。

  • 年間3万2千人の無縁死。

自殺者とその数は重なる部分も多いだろう。具体的な実数が把握されていなかった孤独な死者の存在が本書によって明らかになってきた。そして同時に、孤独な死の背景を調べることは、非常に難しいことも分かってきた。

本書で知った言葉がいくつかある。1つが、「行旅死亡人」。ウィキペディアによると

飢え、寒さ、病気、もしくは自殺や他殺と推定される原因で、本人の氏名または本籍地・住所などが判明せず、かつ遺体の引き取り手が存在しない死者を指すもので、行き倒れている人の身分を表す法律上の呼称

とある。

行旅死亡人は官報掲載される。本書は、そのわずかな情報から、孤独に亡くなった人がいったい誰でどういう人なのかを突き止めようとするところから始まっている。この世と縁の薄い行旅死亡人の存在に注目したという意味で、本書は画期的だった。

もう1つは「直葬」。産地直送とは違って、お葬式を挙げずに、直接火葬される場合をいう。行旅死亡人だけでなく、一人暮らしのお年寄りが、自分が亡くなったら直葬にして欲しいと、生前に葬儀屋と契約している場合があるそうな。

本書は元々はNHKの特集だった。ぼくはその番組を見ていないけれど、視聴者はツイッターで自身の孤独さと重ねあわせて色々とつぶやいていた。そのつぶやきを追って、さらに若い世代が感じる無縁社会についても調査していた。

結婚率が下がり、出生率が下がっている中で、無縁死の予備軍となっている人は少なくないだろう。

携帯電話、メール、ブログ、ツイッターSNSなど誰かとつながりを持てるツールはたくさんある。簡単に誰かと連絡を取れるし、誰かの行動を知ることができる。地震が起きたときのように、緊急時に生存しているかどうかを確認することができる。

とはいえ、それでも孤独感に苦しむ若い人は少なくない。孤独の歌声では、『テクノロジーの発展はつながりの無さと孤独の距離を縮めた』と書いた。つまり現代は、日常のつながりが無い≒孤独なのだと。

一方で、思い違いもしていたようだ。『テクノロジーによって孤独感は軽減されつつある』というのは間違いだ。

いくら携帯電話でメールのやり取りをしても、ツイッターでつぶやこうとも、SNSで情報交換しても、孤独感は軽減されていない。むしろ強化されているかもしれない。孤独な人同士のつぶやきは、孤独さを紛らわすどころか、かえって増強させてしまうのではないか。

ツイッターなどのテクノロジーが悪いということではなくて、つながりを生み出す装置が孤独感を増幅させてしまうという、パラドックスが現代の抱える困難さの一つではないだろうか。

家族の規模が最小になり、その家族すら持たない(持てない)人たちが増えている。社会制度そのものが個人をバラバラにする方向へ仕向けている反面、つながりを生み出すツールが溢れている。手頃で簡便なヴァーチャルなつながりは、強烈な孤独感と表裏一体だ。

無縁死は孤独感の象徴であり、終着点だ。

乾いて砂粒化している個人が、無縁に怯える。一瞬の潤いを与えるツールはあるが、すぐに乾いてしまう。砂を土に変えるために、何が必要なのだろうか…。

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(感想文の感想など)

孤独死という言葉が人口に膾炙し、その後に本書の無縁死という言葉が生まれた。そして高齢化社会と言われるようになって久しいと思っていたら多死社会に突入したと言われるようになった。

そう遠くない終活。明るくハッピーに人生の幕を閉じたいのだけれど。