40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文21-17:雪ぐ人 えん罪弁護士今村核

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著者はノンフィクション作家の佐々木健一さん。これまで辞書になった男(感想文14-62)Mr.トルネード 藤田哲也(感想文17-48)を大変面白く読ませていただいた。

佐々木は人物に焦点を当てて描くタイプの作家だが、その人選がユニークだし、脈絡がなくて幅広い。本書の主人公はタイトルにあるとおり「えん罪弁護士今村核」だ。

えん罪で思い出すのが映画「それでもボクはやってない」。この映画はどこで見たんだろうか。テレビで放映された時だっただろうか。はっきりとは覚えていないが、他人事ではないことに背筋が凍る思いをした。

幸運にもこれまで逮捕された経験はなく(逮捕されるような行為もしてない)、未だに民事事件と刑事事件の違いも、警察と検察の違いもよく分かっていない。

なんとなくフィクションやファンタジーの世界ではイメージできる。ゲームの「逆転裁判」であり「Judge Eyes」がリファレンスになるのだが、さすがに現実世界とは大きく乖離していることは理解している。

自分が取材対象になることを少しも歓迎していない男。それが、"えん罪弁護士"今村核だった。どことなく浮世離れし、近寄りがたい雰囲気を漂わせている53歳(取材当時)、独身。そんな今村がこれまでに築き上げてきた実績は驚異的だ。無罪14件―。法曹界の誰もが舌を巻く圧倒的な数字である。(p.7)

この文書を読むと、今村は無罪を勝ち取る辣腕弁護士というイメージを想起しそうだが、そんな単純な話ではない。コミュニケーションが苦手で、徹底した科学的な調査をし、静かな怒りを抱え、そして経済的には困窮している。

生き様に美学があり、格好良さを感じる。しかし、弁護士としてのロールモデルにはならない(食えない)。目指しても弁護士という職業でこう在りたいという理想とそこまでできないという現実の間にある穽陥でもがき苦しむことになる。今村本人も苦しみ、悩んでいる。

全身全霊を注がなければ、冤を雪ぐことはできない。救えたとしても、元に戻るわけではなく、深く感謝されるとも限らない。えん罪弁護士とはそういうもの、と今村は静かに受け止めていた。(p.97)

えん罪の被害に合うともう二度と日常に戻ることはできない。起訴されれば相当の可能性で有罪判決を受けてしまう。仮に無罪を勝ち得たとしても、疑われて当然の行為があったのではないかと周りから思われてしまう。また長期間勾留され、家族にも職場にも迷惑を掛けてしまう。

「疑わしきは罰せず」とか「疑わしきは被告人の利益に」という言葉を聞いたことがあるだろう。

日本の刑事司法では、無罪の立証まで行わなければ、現実的に無罪を得ることは難しい。だが、弁護側が提出した証拠も、裁判官が採用してくれなければなんの効力も発揮しない。(p.198)

しかし、現実は厳しい。疑われた側が無罪を立証しないといけない。お金も時間もかかるし、専門家の協力も必須だ。やったことを証明するのは簡単だが、やっていないことを証明するのはとても難しい。UFOを捉えた映像はUFOの存在証明になり得るが、UFOの映っていない画像はUFOの不在証明にはなり得ない、に似ている。

構造的な問題も背景にある。裁判官人事制度の歪みとも言える。法服の王国 小説裁判官(感想文14-05)では行政訴訟の事例を出したが、似たようなものだ。えん罪を認めて無罪判決を出さないインセンティブが働いている以上、これからもえん罪被害者は後をたたない。

正しく事件を裁くのではなく、自分の身可愛さを優先する構造になっているのが問題の背景にある。しかしこの構造を変えるのは容易ではないし、ましてやえん罪被害者も痴漢されたと訴えた人にとっても、そんな構造は知ったことではない。巻き込まれて初めて知る。

構造的な問題と断定するのは簡単だが、構造的な問題だからこそ変わらないし、変えられない。今村さんも構造的な問題の被害者とも言える。

私がえん罪被害者になりそうなとき、真っ先に今村さんに依頼することにしよう。今村さんの存在を知ったことが、歪んだ司法に対峙するかすかな希望に思える。