※2012年9月27日のYahoo!ブログを再掲
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最初に言っておこう。めちゃくちゃ面白い。現時点で今年NO.1だ。
水金地火木土天海冥。たまに海と冥がひっくり返ることがあるけれど、それは軌道が交差するからって、小学校の頃に習った記憶がある。今でも息子は水金地火木土天海冥って覚えているけれど、もう冥はいないんだって伝えないといけない。
ちょっと冥王星の生涯について整理しておこう。ウィキペディアにあるように『1916年、パーシヴァル・ローウェルによってその存在が予想され、1930年にクライド・トンボーによって発見された。』そのため、9番目の惑星としてその地位を固めたのだが、2006年に本書の著者であるマイク・ブラウンによりその地位を剥奪、つまりは殺されたのだ。
冥王星についてその厳つい名前以外にあんまり印象が少ない。それもそのはずで、直径はわずか2,320kmで、月よりも小さい。
といったことを踏まえて、本書で印象的な箇所を挙げていこう。
1837年の中学校の教科書を見てみると、「第四惑星 火星」の章と「第九惑星 木製」の章のあいだの章には、単に「第五、第六、第七、第八惑星」という章題がつけられている。
ということで、惑星はずーっと9個だったり、冥王星の前は8個だったりしたわけではない。惑星という特別な地位は、流動的で論争の的だったのだ。というよりもそもそもの定義がはっきりしていなかった。ちなみにその5~8の惑星の名前は、ケレス、パラス、ジュノー、ペスタとのこと。水金地火木土天海冥に入れにくい。
望遠鏡の技術が発達し、冥王星が実は特別な存在ではないことが明らかになってきた。ようするに冥王星のような星がまだまだたくさんあるということだ。極めつけは、2005年7月29日に海王星の外側、つまりは冥王星と同じようなところに、冥王星よりも大きい星が発見された。この発見をしたのがブラウン教授だ。
この結果、冥王星は惑星って呼んで良いのか、ということが国際天文学連合(IAU)で決議されることになった。
厳密に科学的に考えたあげくに抗議を受けるか、うわべだけ科学をまとって現実を覆いかくすか。選択を迫られてIAUは後者を選んだ。「惑星」という言葉の科学的な定義は、自らの科学の影に怯えるものだった。
科学的に考えれば、冥王星は惑星ではない。冥王星を惑星にすると、冥王星っぽい星もすべて惑星にカウントされる。今となっては単純明快に思えることも、その当時はかなりの混乱があったのだ。
「あなたは冥王星を惑星にすべきだと考えているのですか?」という質問に対し「いいえ。(中略)冥王星を惑星にすべきではありません。ジーナも同じです。1903年発見されたときには、『惑星』以外にいい呼び名がありませんでした。でも今は、海王星の軌道の外側に何千もの天体が存在し、冥王星はそのひとつにすぎないことがわかっています。(後略)」
著者の主張は明快だ。しかし、これは長年、惑星として親しまれてきた冥王星を殺すことになる。しかし、これはただ単に殺したというわけではない。あとがきには、
本書は、その「第10惑星」を発見して冥王星を引きずりおろした張本人が、自ら当時を綴った記録である。自称「冥王星を殺した男」だがむしろ「冥王星と刺し違えた男」と呼ぶべきだろう。冥王星を殺すために自分の大発見をも道連れにしたのだから。
まさにそうで、第10惑星という新しい大発見を主張したのではなく、冥王星と刺し違えたのだ。ここが本書の醍醐味だ。
本書は単なる新しい星の発見と定義の整理といった単純な科学読み物ではない。人間である著者の、結婚、妻の妊娠・出産、子育て、それと同時並行にある発見の数々、そして大発見がある。その発見もスペイン人にパクられそうになったりするはで、とにかくべらぼうに混迷し、苦悩し、謳歌している。
久々に素晴らしい科学読み物に出会った。過去の科学者烈伝ではなく、現在進行形のトピックスが活き活きと描かれている。宇宙ではなく、天文学というなかなか変化の起きなさそうな学問がこんなにもダイナミックで、面白いのだと感じさせてくれた新鮮な一冊だ。
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(感想文の感想など)
今の教科書に冥王星は載っていない。たぶん。
聖徳太子の記載が消え、厩戸皇子(うまやとのみこと)になっていたり、鎌倉幕府の成立が1192年ではなく1185年になったために、覚える語呂も「いい箱つくろう鎌倉幕府」に変わったとか、日本最古のお金は和同開珎ではなく富本銭になったとか、教科書も変わるのだ。
昔は正しいと思われていたことが、後の研究によって覆る。新しいテクノロジーが出てくれば、生活様式も仕事の仕方も変わっていく。
真実は一つかもしれないが、今真実だと信じているものは真実ではないかもしれない。だからこそ研究は重要だし、研究成果によって世界の認識の在り方は変わっていくのだ。
小学校6年生の次男の自由研究のテーマをどうするか悩んでいる。世界の認識の在り方を変えるような大発見をするのはどだい不可能だけれど、研究が世界を変えうるのだということを知ってもらえるような機会にしたい。いや、それも難しいな。