※2010年9月7日のYahoo!ブログを再掲。
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ハーバード白熱教室で有名になったマイケル・サンデルの著作。サンデルは政治哲学者であり、政治評論家しか見かけない日本では新鮮に映るのだろう。
だからこそ、あれだけNHKの硬い番組が好評を博したのだと思う。本書では、アリストテレス、カント、ミル、ロールズといった有名な哲学者たちが登場する。その中で、特に「正義」に焦点を当てて、整理し、さいごには著者の主張を示している。
冒頭部分に、本書の目的として、
正義に関する自分自身の見解を批判的に検討してはどうだろう-そして、自分が何を考え、またなぜそう考えるのか見きわめてはどうだろう
と書かれている。はて困った。正義に関する自分自身の見解と言われても、ほとんどピンとこない。批判的に検討すると言われても、自分の考え自体がよく分かっていないので、批判しようもない。
ところが、本書を読み進めていくうちに、正義に関する自分自身の見解が何なのか分かってきた。驚かされたのが、批判的に検討することもなく、当然のものとして考えていたから、疑問に思うことすらなかった。正義について意識の俎上に上がることはほとんどないということに気づき、自分の固定化された考え方に不安を覚えた。
本書では、何度読んでもさっぱり分からないカントについて分かりやすくその主張を整理している。さすがにハーバード大学で人気講座を持っているだけのことはある。
さて、改めて正義についての考え方を整理したい。自分の言葉で。考え方は3つある。
①正義=ちょっとの犠牲があってもその他大勢が幸せになれば良い論=功利主義
②正義=選択の自由があれば良い論=リバタリアン、リベラル
③正義=みんなで良い生き方を考えていこうよ論=コミュ二タリアン
著者の立場は、③にある。そして、アメリカにおいて中心的でしかも強固な②の考え方を否定している。
達成不能な中立性を装いつつ重要な公的問題を決めるのは、反動と反感をわざわざつくりだすようなものだ。本質的道徳問題に関与しない政治をすれば、市民生活は貧弱になってしまう。偏狭で不寛容な道徳主義を招くことにもなる。リベラル派が恐れて立ち入らないところに、原理主義者はずがずかと入り込んでくるからだ。
アメリカのようなさまざまな人種、宗教、道徳的観点のある人たちが一緒に生活しているなかで、善や価値に中立して正義を決めましょうという②の考え方が形作られ、主流となった。
ところが、この姿勢が問題を生み出すようになってしまっていると著者は主張している。中立性は達成できず、常に問題になる政治や法律は、道徳や宗教から中立ではいられない。道徳や宗教とは無関係に生きられないのに、潔癖に中立性を守るがために、窮屈で不寛容で偏狭な社会になってしまう。この点をサンデルは危惧している。
なるほどこう言われて初めて気づく。各人が自由に選択する、そして他人の選択にとやかく言わない(厳密にはもっと難しい言葉になるし、グラデーションがあるけれど)。これが今のアメリカ、そして日本にも蔓延している正義の考え方だ。道徳や宗教的対立を乗り越えるための方法だけれど、さまざまな場面で衝突は無くなっていない。むしろ、小さなことで衝突を繰り返し、自由の領域が狭まっているようにすら思える。
そこで「コミュ二タリアン」となれば良いけれど、これはこれで腑に落ちない。
これが、『これからの「正義」』といえるのか、まだまだ疑問ではある。コミュ二タリアンの考え方自体まだまだ発展途上のように思える。しかしながら、ほとんど意識したことのなかった、「正義」について批判的に吟味することができるという点だけでも、本書は大いに価値がある。
また、本書ではさまざまな具体的な事案が登場し、現在のアメリカが抱える政治哲学の課題も浮き彫りになってくる。自由を追求し、特定の価値に肩入れすることを忌避し、国家の影響を最小限にしようとしたことが、どういう事態を引き起こしてきたか明らかになっていく。
アメリカの政治哲学は新しい場面に突入している。その息吹を感じられる。
一方で日本は、権力闘争を繰り返し、トップは変われど社会は変わらず、官房機密費を手にした政治評論家が政治を語る。正義を批判的に検討しようにも、そんな素地すら整っていない。
正義とは何か。このことを問い続けることは存外難しいものだ。そして、万人が万人とも認める正義は存在しない。それでも考え続けることに大きな意味がある。
これからの正義はこれまでの正義とは違う。これまでの正義みたいに、計算できたり、善行と無関係だったり、ましてや特定の価値観に依存したりしない。決定的な前提がない。不安のなか、正義をつかむ覚悟が問われる時代がくるのかもしれない。
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(感想文の感想など)
競争ではなく協力へと行動を変容させるにはどうしたら良いだろうか。
協力を強制されるのではなく、自律的に協力できる仕組みはどうすればできるのだろうか。
ずーーーーーっと考えているけれど、全然、こうしたら良いのではという道筋すら見えてこない。