40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文13-48:スポーツの世界は学歴社会

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※2013年8月13日のYahoo!ブログを再掲。

 

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夫婦格差社会(感想文13-31)以来の橘木さんのご本。計量経済分析とスポーツという個人的には結構興味のあることについて書かれた新書。単なるデータの分析結果だけでなく、背景にある日本スポーツ黎明期(輸入初期)のトリビアも多数掲載されていて、なかなか面白く読むことができた。

それでは気になった箇所を挙げておこう。

日本の場合、大卒労働者の賃金(男女・全年齢を合わせた平均年収)は高卒労働者の1.47倍である。これはアメリカの1.64倍、ドイツの1.49倍、あるいはイギリス、フランスと比較すると低いが、この格差が大学へ行くことでかかるコストよりも大きければ、大学進学は割に合うことになる。

経済学によく載っているような話。トレードオフ機会費用についてのこと。年収で約1.5倍違うのかぁ。600万と400万くらいだろうか。大学と大学院ではどれだけ異なっているのだろうか。まあ、大学に行くのは年収が増えるからというだけではないだろう。人脈とか学問知識とかそういった金銭で換算できない(そういったことも含めて年収に反映されているのかもだけれど)ことも勘案されていることだろう。

景気が回復したとしても、チーム再開を考えている企業は3パーセントにすぎないというアンケート結果

ルーズヴェルト・ゲーム(感想文12-57)が思い出される。企業スポーツは危機的状況にある。例えアベノミクスで景気が回復しても企業スポーツは復活しない。企業スポーツに広告塔としての効果は薄いという判断かもしれないし、限定的な所有者である株主が納得しないのかもしれない。スポーツは企業から地域へと移行しつつあるのだろう。

男子マラソンの弱体化に代表される陸上界の問題は、まさしく箱根駅伝のテレビ中継によって陸上関係者のインセンティブが大きく変わったことに端を発している。まさに経済学的な問題といえる。

ラソンを2時間30分もずっと見るのは難しいけれど、駅伝なら結構見れる。ランナーが入れ替わり、襷を繋ぎ、時間内に辿りつけなかったりと、ドラマがある。男子大学生の長距離ランナーの花形が箱根駅伝である以上、競技の性質の異なるマラソンで弱体化することは仕方のないことだろう。

そういえば、ちょうどこれを書いている時は世界水泳が行われている。最近、水泳の成績が上がってきているように思う。練習の在り方が良くなってきたということでなく、競技者それぞれの仲が良い。世界ランキングなんかも導入されていて、代表選手の選考基準も明確に思える。

他方の陸上はどうもドロドロしている感じがする。柔道やバスケットボールほどではないにせよ、協会のガバナンス(この用語はあんまり好きではないけれど)が機能していないからではないだろうか。学閥はスポーツの阻害要因になる。特に水泳や陸上といった個人競技が中心で、時間によって明確に順位が決定するものについてはそうではないだろうか。

ここで特記しておくことがある。それは、巨人は伝統的に慶應閥といわれ、慶應出身者を好むということである。

うちの会社ではあんまりないかもだけれど、民間企業で学閥というのはあると聞く。スポーツの世界も例外ではない。先輩後輩の上下関係が厳格なチームスポーツの場合、必ずしも学閥が競技成績にネガティブに働くというわけではないのかもしれない。近い大学文化で過ごした方が、チームワークを機能させやすくするのかもしれない。ただし、あくまで短期的にはという限定的な効果でしかないと思われる(本書でこういう計量分析はなされていないけれど)。

(6大学野球に)中央大学ではなく東京帝国大学が加盟することになった。

6大学とは、早稲田、慶應、明治、法政、東大、立教。どうも東大が浮いている。

この背景には野球とはまったく関係のない学問上の対立があった。当時の法曹界においては、フランス法の伝統を尊重する明治大学や法政大学、ドイツ法を研究する東京帝国大学に対して、中央大学はイギリス法を尊重していたのである。(中略)当時の大学は法学がもっとも重要な学問であり、法学部の意向が尊重されたのである。

へぇ。野球と法学にこんな関係があったとは。学閥も遡るとこういうことに端を発しているんだなぁ。

なぜ、大阪朝日新聞が全国大会を開催するようになったのか。1911年、「東京朝日新聞」が、野球ばかりして勉強しないとか、素行不良、応援団のケンカなどを理由に「野球は害である」というキャンペーン記事を連載した。これが読者の反感を買い、販売部数が低下した。売り上げを挽回するために、国民のあいだで人気が高かった野球の全国大会を企画・実行し、報道したのである。

これも知らなかった。甲子園中継はテレ朝とNHKしかやってない。野球のネガキャンをして、批難されて、手のひら返しで野球応援をするという、現代でもありそうな話。そういえば、もう甲子園の季節だ。

これは私たちの推測だが、日本代表監督を二度も務めた早稲田と古河電工の後輩・岡田武史も川淵の歩んだ道、すなわちチェアマン、会長になるのではないか。

本書は野球の話が多かったけれど、サッカーの話題もあった。この予測は当たるのだろうか。今後を楽しみにしたい。

現役時代の成績から生産性を予測することはできない、ということであり、名選手が名監督になるとはかぎらないことを示しているといえる。これはプロ野球だけでなく、ほかのスポーツでも同じことがいえるだろう。

これは実証されている。名選手=名監督にあらず。監督や協会の理事が名選手ばかりで固めているところは、どうも体質的に古いのかもしれない。

独立リーグは、プロ野球選手をめざす人たちだけではなく、指導者をめざす人たちの修業の場になっていることが理解できる。

野球にも独立リーグができている。四国・九州アイランドリーグは、特に四国では新聞に掲載されたり、ローカルニュースで報道されるなど、地域性が前面に出ていて話題になっている。プロ野球と今や少なくなった企業野球に追加される野球の裾野を広げる面白い試みだと思う。選手だけでなく、監督の養成にも貢献しているというのはなかなかに興味深い。いつか独立リーグで名を上げた監督がプロの世界に参入してくるかもしれない。

日本野球連盟に登録している企業を見ると、1963年には237社を数えたが、いまでは87社にまで減少している(2012年8月3日現在)。これは野球だけではなく、ほかのスポーツでも同じである。今後もデフレ経済と不況が続くことを前提にすると、企業スポーツをどうするかは大問題である。

野球のテレビ中継も観戦者数も減少している。スポーツは野球だけでないし、チームも阪神・巨人だけでない。企業がスポーツに投資するインセンティブが低下している。また、選手にとっても企業が冷酷に切り離してしまいやすい現状では、安心してスポーツに取り組めないというのもあるだろう。少額でも複数社が資金を提供しあって、地域と密着し、持続的に運営する方式が主流になっていくだろう。

本書は、タイトルのように学歴ばかりの話ではなく、様々なスポーツの側面について、理論的な考察も交えて、紹介している。学術論文では描き切れないことを様々なトリビアを散りばめて1冊の本にしていて、読み応えもあるし、何より面白い。橘木さんの本をまた読んでみようっと。

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(感想文の感想など)

東京オリンピックが2020年開催に向け、ずいぶんとスポーツの世界、特に協会や財閥や選考基準といった既得権益に変化があった。

協会で言えば、バスケ協会は2015年5月に川淵三郎を会長とした新体制が発足した。テコンドー協会もいざこざがあり、2019年12月に新体制発足。

ラソンではマラソングランドチャンピオンシップMGC)が2019年9月に開催され、選手選考が明確になった。

競争と協力が機能しないと、世界では戦えない。マラソンはようやくスタートラインに立ったと言える。

ボクシングの奈良判定、女子体操のパワハラ、女子レスリングのセクハラ、アメフトの悪質タックルなど、指導者と選手の関係でまだまだ多くの課題がある。

それでも少しずつ、良い方向に向かっているのではないだろうか。