40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文20-21:ガロア 天才数学者の生涯

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数学は人を魅了する。しかし、魅了される人は限定される。日本の全人口のうち高校で数学ⅢとCを履修できた人はたぶん25%くらいだろう。

数学は美しい。否、美とはすなわち数学のことだ。しかし、それを美として捉えられる人も限定的だ。

私は数学が得意ではあったが、それでもガロア理論のことはさっぱり理解できていない。
 

数学ガール ガロア理論(感想文12-52)で天才数学者と言われるガロアについて知りたくなり、たどり着いたのが本書である。ガロア理論についての理解は放棄し、ガロアという人物像とその背景について知りたいというのが本書を手にとった動機だ。

天才数学者といえば誰を思い浮かべるだろうか。古代ギリシャピタゴラス、言わずとしれた大数学者レオンハルト・オイラー、座標を発明したデカルト、最近だとポアンカレ予想を解明したと言われるペレルマンだろうか。(ペレルマンについては、完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者(感想文10-31)を参考してください)

天才と言われた数学者が数多くいるが、ガロアの特異性は突出している。わずか20歳という若さで亡くなっているからだ。だからこそ、その死が惜しまれるだけではなく、早逝にまつわって様々な陰謀論が囁かれ、彼が成し遂げた数学的偉業以外のことまでも話題にされてしまう。

通俗化したガロア像には、多くの間違いがあることもわかってきました。謎に包まれているその生涯と、人類史上においても奇跡的な数学上の業績を残すまでの経緯を、今一度概観してみたいというのが、私がこの本を書こうと思ったきっかけです。(p.ⅳ)

とあるように、謎多きガロアについて著者である加藤文元さん(現、東工大教授)が丁寧に、そして冷静に整理している良書である。

ガロアが生きた20年と半年(1811年10月25日-1832年5月31日)は、フランス革命後の時期と重なる。時代背景を見てみよう。

1789年7月14日:バスティーユ襲撃
1793年1月21日:ルイ16世処刑→第一共和制へ
1794年:テルミドールのクーデターロベスピエールが失脚→処刑
1795年:テルミドール派は失脚→ポール・バラスによる政権誕生
1799年:ブリュメールのクーデター→ナポレオン・ボナパルトが執政政府を樹立
1804年:ナポレオン1世が皇帝に即位→第一帝政
1814年:ナポレオン1世が退位→有名なウィーン会議→王政復古
1815年:ナポレオン1世エルバ島から脱出し復位→ワーテルローの戦い→退位
1815年:ルイ16世の弟であるルイ18世がフランス国王に即位
1824年:ルイ18世死去→その弟のシャルル10世が即位
1830年七月革命が勃発→シャルル10世は失脚→ルイ・フィリップが王に
1832年6月5-6日:六月暴動(パリ市民による王政打倒の暴動)

ざっくりいうと、フランス革命が起きたけれど、すぐにナポレオンが失脚して、王政復古して、第二共和政になる前というところ。王政、共和政、帝政と目まぐるしく政治が変わっているそのさなかに、ガロアの短い生涯が存在した。

これまでフランス革命に関連する本はいくつか読んだ。フランス革命はその複雑な経緯とおびただしい登場人物と血生臭さから、第一級の面白さを持っている。今でもパリでは暴動が起きるのだけれど、それはもうそういう歴史でできたのだから、まあ仕方ないかと思ってしまう。

短い生涯ながら登場する人物が面白い。同時代を生き、同じく若くして夭逝するノルウェーの天才数学者ニールス・アーベル(ガロアほど知られてない)、ガロアの論文の審査員だが急死してしまうジョゼフ・フーリエフーリエ変換フーリエだ)、ルイ・フィリップの公設秘書で劇作家のアレクサンドル・デュマ・ペール

激動の時代に多くの血が流れる。フランス革命の犠牲者として化学者のラヴォアジエが有名だが、ガロアもまた犠牲者の一人と言えよう。

ガロア理論」とは、数学的対象の難しさを、それに付随した対称性全体から成るシステムの構造によって記述する学問である。(p.245)

ふむふむ。さっぱり分からない。でも分からないって大事だよね。いつか理解できるよう、分からないことリストにガロア理論をストックしておこう。

ということで学生時代は歴史とかさっぱり好きになれなかったけれど、数学と絡めると急に面白くなってくるから不思議。まだまだ知らないことはたくさんある。知らないこと、分からないことは、生きていく上での良いスパイスになるなと思う。