40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文22-10:チューリング 情報時代のパイオニア

 

メアリー・アニングの冒険 恐竜学をひらいた女化石屋(感想文09-35)の感想文の感想で、本書の主人公であるアラン・チューリング(1912-1954)に言及していた。

改めて調べてみると、チューリングの紙幣は昨年2021年6月から流通しているようで、是非、イギリスに行ったら拝見してみたい。50ポンド紙幣なので、円安の現在、日本円で8000円強。保存用と考えたら、ちょっとお高い。

チューリングと同じ1912年生まれは、金日成糸川英夫ミルトン・フリードマン。糸川先生はそんなに前の時代の方だったのか。糸川先生についての本も読んでみたいな。

本書は戦争と謎めいた死によって、複雑に絡まったチューリングの人生を丁寧に紐解いてく。原著は2014年10月刊行とのことで、同年にチューリングが主人公である映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』が公開された年でもある。ちなみに本映画は、1983年の伝記『Alan Turing: The Enigma』が原作となっている。

死後半世紀近く経過した21世紀になって、ようやくイギリス政府は負の遺産を正視し、チューリングを正しく評価できる素地が醸成されるようになった。本書はチューリング復権に一役買ったのだろうか。あるいは復権しつつあったからこそ、出版に至れたのであろうか。

まず、訳者解説より引用しよう。

日本や世界各国のIT業界を含む多くの人々が、こうしたパソコンやネットはすべてアメリカでできたものだと信じ込んでいる。もちろん世界初とされる大型電子計算機ENIACペンシルバニア大学でフォン・ノイマンらのチームが作り、最初のパソコンであるアップルを作ったのはジョブズとウォズニアックの二人のスティーブだったし、インターネットは国防総省の出資で60年代に研究が始まったものだ。だが、もともと「そうした発明を可能にしたのは誰か?」という重要な問いが忘れ去られている、と本書は主張する。(p.399-400)

コンピュータ開発のはてしない物語(感想文21-25)によると、ENIACは1946年2月15日に完成した(厳密にはノイマンは関係しておらず、後継機のEDVACから参画)。

だが、同書によると同時期に、アメリカのABC(アタナソフ=ベリー・コンピュータ)が1942年に完成、イギリスのColossu(コロッサス)は1943年12月に完成、ドイツのZuse Z3(ツーゼ・ゼットスリーは1941年5月に完成と書かれている。

昔ながらのコンピュータ歴史家はチューリングのことに触れようともしなかった。しかしチューリングこそはその始祖なのだ。1936年のチューリングの万能マシンから、その後の代々のコンピュータに影響のあったEDVACの青写真ばかりか、コロッサスを通してニューマンのマンチェスターのコンピュータや、最初のパーソナル・コンピュータまで、真っ直ぐ続く道を描くことができるのだ。(p.196)

チューリングマシンと呼ばれる抽象機械のことで、その発想がノイマン型コンピュータへとつながり、現代のPCやスマホへとつながっていく。

車輪やアーチのように一般的になったすばらしいアイデアと同じく、プログラム内蔵方式の万能コンピュータというたった一つの発明だけで、チューリングはわれわれの生活を一変させてしまった。(p.6)

生活を一変させたという表現は、過言ではない。チューリングは人類の進歩に偉大過ぎる貢献を果たしたのだ。

しかし、その業績が貢献が正しく評価されることなくこの世を去ってしまう。

理由の一つが、戦争だ。数学者であるチューリングが暗号解読に従事し、結果的に戦争の終結を早め、多くの命を救った。

しかし、戦時に加速した計算機の利用が、アメリカではENIACの存在を公表し、技術を開放してビジネスに結び付けた一方で、イギリスは戦時機密として暗号解読のための計算機の存在を封印した。そのため、チューリング含め多くの人の研究は正当に評価されなかった。

科学者と戦争(感想文16-33)にあるように『軍の機密という理由だけで極めて厳しく不条理に監督される』ので、成果を公表できないし、当然、評価もされない。

さらにチューリングはゲイであったことを犯罪と見做され、強制的に薬物療法を受けさせられる。最終的にチューリングは若くして亡くなってしまい、一般的には死因は自殺とされているが、本書ではその点についても疑義を呈している。もちろん真相は不明だが、本書を読む限り、チューリングが自殺するような人物とは考えにくいのも確かだ。

本書はチューリングについて詳細に描かれた完全版と言っても良いのだが、如何せん難解である。数学的な意味での貢献も分かりにくい。数学の話になると、日本語の縦書きの本では原理的に無理がある。

軽くチューリングを知りたい方は映画「イミテーション・ゲーム」をお勧めする。

個人的にはようやく、コンピュータ開発の歴史におけるチューリングノイマンの関係性が理解できて、ちょっとすっきりしている。