40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文22-09:ボクの音楽武者修行

本書の著者であり、音楽武者修行をしたボクである主人公は、有名な指揮者である小澤征爾(1935-)さんだ。現在86歳で、同じ年生まれはエルヴィス・プレスリー大江健三郎畑正憲仰木彬美輪明宏筑紫哲也野村克也ダライ・ラマ14世堺屋太一赤塚不二夫など。

小澤征爾さんのお名前はよく存じ上げているし、息子の征悦(ゆきよし)さんは俳優で、ミュージシャンの小沢健二さんは甥にあたることも知っている。でも征爾さんがいかにすごい人なのかは本書を読むまで全く知らなかった。

本書の原著は1962年に出版され、私が読んだのは1980年に出版された文庫版だ。

まず、文庫版の解説から引用しよう。解説者は音楽プロデューサーであり小澤の親友でもある荻元晴彦さんだ。

『ボクの音楽武者修行』は、1961年、当時26歳だった小澤征爾によって書かれ、翌年音楽之友社から初版が刊行された。まことに比類のない、みずみずしい青春の書である。(p.208)

まだ26歳の若者である小澤征爾による冒険の記録と言ってよい。

スクーターを唯一の財産として神戸から貨物船に乗りこみ、マルセイユからパリまでたどりつき、フランス国内、アメリカ、ドイツ、そしてふたたびアメリカへと回って、いよいよ約2年半ぶりになつかしい日本へ帰ることになった。(p.196)

2か月かけて貨物船でヨーロッパに単独で渡り、スクーターでヨーロッパを移動してパリへ行き、事前にエントリーしてない国際指揮者コンクールに何とか参加させてもらい、予選で勝ち残り、優勝する。

さらに20世紀のクラシック音楽界の巨頭中の巨頭であるカラヤンに師事し、ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任して、2年半ぶりに日本に凱旋帰国を果たすまでの物語だ。

ルワンダ中央銀行総裁日記(感想文16-03)を思い出す。異世界転生モノかと思わんばかりのぶっ飛んだ無双ストーリーにたまげるが、1964年の東京オリンピックより前の時代に、こんな偉業を成し遂げた若者がいることにただただ驚かされる。

そのころは、この先きどうやって勉強しようかと、どのくらいヨーロッパにいられるだろうかなどという計画は皆無だった。どの先生に指揮を習うかということも考えていなかった。しかし音楽会に通っていると、音楽の道を選んで進んでいる自分が非常に幸福に感じられたし、またやり甲斐のある仕事にも思えた。<中略>ぼくは自然に音楽に親しむことができた。音楽を聞いていても、自分が指揮を専門にしていることなど忘れるくらい、音楽そのものに陶酔することができた。それがよかったと今でも思っている。(p.44)

コンクールで優勝して、才能を見出され、巨匠に弟子入りし、ポジションを獲得していくが、全くの無計画だった。指揮者のポジションを獲得することを目標にバックキャストしたわけではない。行き当たりばったりに、異国の地で目覚ましい成果を出し、引く手あまたの指揮者になっていく姿は圧巻としか言い様ない。

改めて文庫版の解説から引用しよう。

最後につけ加えたい。私は優しさが小澤征爾さんを理解する手がかりと買いた。<優しさ>とはまた当節若者の流行語ですらある。優しい人間はどこにもいる。だが小澤征爾アメリカ、ヨーロッパの真に実力だけが問われる音楽界という競争社会のなかで、その優しさを失わなかったばかりか、勁さ(つよさ)を兼ね備えて成長したことを読者は知らねばならない。(p.215)

実力だけが問われる競争社会で、結果を残し、成長した若者は、ただ優しいだけではなく、勁さをも兼ね備えた。敢えてこの漢字が用いられているのは、疾風勁草という四字熟語があるように、激しく勢いの強い風が吹くような苦境に立たされた時に、初めて強い人間がだれかわかる。

厳しい音楽界で、しかも海外で、それでも倒れることなく、存在感を示せる。逆に言えば、それだけ厳しい環境に身を置かなければ、本当の勁さは分からないとも言える。

本書では、辛かった話はあまり書かれておらず、気力の充実した若者が、異国の地で無双していく、清々しいまでの成功譚だ。

だが、凱旋帰国して、指揮者としてのキャリアをスタートしたのも束の間、「N響小澤事件」が勃発するのは、これからのお話しになるのだけれど。