40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文17-19:難民問題 イスラム圏の動揺、EUの苦悩、日本の課題

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※2017年4月16のにYahoo!ブログを再掲。

 

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これまでさほど真剣に考えたことのなかった、難民問題。このたび、イスラエルに出張し、近年の難民問題の舞台となっているシリアが隣接しているということに気付く。本書は難民問題について考えてみる契機となった一冊だ。

そもそも日本に難民が押し寄せるという状況になっていない。難民を生み出すアフリカや中東からは程遠く、しかも島国であるため、おいそれと流入することは物理的に困難である。

EUの状況を横目に見つつ、日本はどのように協力すれば良いのだろうか。極めて現実的な対応を主張する本書は、ややもすれば理想論に傾きがちな意見に、良い意味での冷や水を浴びせかけてくれる。

世界の先行きが不透明ななかで、どの国も自らの存立と持続を憂えてる。自国の安全、社会の安寧、国家の財政を考えたとき、「他者」に対して無制限に善意を示せる状態にはない。(p.v) 

困っている人、貧しい人、財産を奪われた人、暴力を受けている人、そういう人たちを助けたいと思う気持ち、それ自体は純粋で人間性に溢れ、博愛主義的で尊重されるべきものだと思う。しかし、犯罪が増え、雇用が圧迫され、公共施設が利用できなくなり、ゴミが溢れる。こういう状況になった時に、いつまで、どこまで、他者に善意を示せるのだろうか。理想と現実である。

善意の限界は必ず訪れる。安易な理想主義は社会を危機に陥れかねない。こうした厳しい認識をもちつつ、本書は21世紀の現実に即して難民問題を考えていく。(p.vi) 

まさに善意の限界EUに訪れている。理想主義者の施策は、短期的と超長期的には有効かもしれない。問題は、中期あるいは長期を乗り越えられないという現実がある。

いつまで経っても戦争は終わらない。人が人を殺し、環境は破壊される。歴史は、その繰り返しだ。本書は、難民問題を通じて、現代がどういう状況にあるのかを解説してくれている。

それでは、気になった箇所を挙げておこう。

UNHCRは国連機関のなかでも今や花形の存在である。2015年時点で、世界に9300人のスタッフを擁し、125カ国で活動を展開する。本部はスイスのジュネーブにある。(中略)2015年6月の時点のUNHCRの予算は70.93億ドル(1ドル120円換算で8512億円)である。(p.13-14)

UNHCR(Office of the United Nations High Commissioner for Refugees)、日本語で「国際連合難民高等弁務官事務所」は、今や巨大組織だ。1万人近いスタッフ、1兆円近い予算。とてつもない規模の人員とお金をつぎ込んで、難民問題の解決に対応している。その事実に驚いた。

中東とアフリカに囲まれる地理的空間のなかで、欧州に住む非イスラム教徒の人々が心理的な圧迫を感じたとしても不思議ではない。欧州人が唱えてきた多文化主義は、結局のところ欧州に緩やかなイスラム化をもたらすのである。(p.141-142)

ここでも理想と現実のギャップが強調されている。多文化主義(multiculturalism)は、欧州の文化が薄まり、イスラム色が強くなることをもたらしたのだ。

「難民に開放的な国」は外国政府の転覆を許す国になりかねない。(中略)日本が中国のあらゆる反体制派の拠点となったとき、外交上の摩擦に加え、離島への侵攻などの報復が生じることを想定しなければならない。(p.176)

これも、ほとんど私が考えたことのなかった現実的な想定だ。確かに、例えば中国で迫害されている人たちを日本で受け入れることは、中国と敵対することに等しい。単なる人道支援ということではなく、結果的に反体制派の受け皿となり、人員と資金力を強化し、組織化する手伝いをしてしまうことになるかもしれない。それに対して中国が報復措置をとったとしても決しておかしくはない。

無邪気に無防備に難民を受け入れることが、自国や自国民を窮地に陥らせる結果となるかもしれない。これが現実だ。

国家は一つの虚構、すなわちフィクションであって、脆弱な存在であると捉えると、難民発生の根本原因がはっきりと見えてくる。いくつもの国で国家の虚構性と脆弱性が明白になってきたのが2010年代の世界情勢である。難民問題の流れで言うならば、国家も「難民化」してしまうのである。けれども、国民は逃げることはできても、国家は物理的に移動するのが難しいから、その場で動揺し、漂流することになる。(p.203-204)

本書で興味深かったのは、今や難民化するのは民だけではなく、国も難民化するという現実だ。国境線が海と等しい島国で生活していると実感しにくいかもしれないが、国家は虚構であり、脆弱である。

私が生きている約40年間で、多くの国が新たに生まれたり、統合したりしている。どちらかというと、分裂して新しくできた国の方が多いだろう。

会社が倒産し途方に暮れる社員がいるように、国家が破綻し難民が生まれることがある。会社が破綻しても、たいていは国家が保障するセーフティ・ネットが機能するだろう。

しかし、国家が破綻したらどうなるか。他国から侵略される恐れもあるが、自分たちを自分たちで守らなければならなくなる。防衛機能だけでなく、警察機構も機能しないと、暴力や略奪に晒されることになる。

空爆されたり、銃が乱射されるような日常を生きていない日本は平和だと思う。自殺や交通事故死や孤独死は確かに日常ではあるが、無差別や不合理や非人道的な死と隣合わせの環境ではない。

だからこそ、本書で主張されているような現実を直視する必要がある。

難民の理念的な美しさは、宗教のように人々を原理主義にしやすい。(p.230)

理想を語り、描くことの重要性は否定しない。しかし、国家として選択する施策は、現実的であり、実証に耐えるものであるべきという考えが私の根底にある。

私は、人間の理性、知性、自制心を信じ切ることはできない。往々にして過大に評価し、過小に評価し、真偽を見抜けず、感情的になり、抑制を欠き、判断を過つ。

EUの先行事例を正しく把握する必要がある。誤った例として嘲笑うのではなく、私たちも同じように理想によって適切な判断をし損ねるかもしれないと、顧みなくてはならない。

理想対現実という構図は、今の日本にある諸問題でも同様だ。現実を把握するためには時間がかかり、直視するのは辛い。現実の立場に立つことの難しさを念頭に置くこと、これが様々な問題に取り掛かる前提であり、共通認識になることが望まれる。

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(感想文の感想など)

この頃、イスラエルに出張したのでした。懐かしいな。

もう2度と行くことはないだろう。刺激的ではあった。

日本ではほとんど難民を受け入れていない。北朝鮮が崩壊すると、日本海を渡って、難民が押し寄せるのだろうか。