40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文21-01:人類と病 国際政治から見る感染症と健康格差

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先日、健康診断に行ってきた。例年だと社内で行われるのだが、新型コロナウイルス感染症流行の影響を受け延期となり、「密」をさけるため指定の健診医療機関での受診となった。

新宿にある健診センターで、ものすごくシステマティックだけどスムーズな健康診断を受けることができた。何だか自分がモルモットになった気分で、言われるがままに着替えをし、X線で撮影され、採血され、心電図を測られ、身長体重血圧視力が調べられ、最後に軽い問診を受ける。健康診断が一大産業になっている現実を目の当たりにし、なるほどこういうビジネスは今後も長く儲かるだろうなと感心しきりだった。

感染症は世界史を動かす(感想文08-16)では感染症と歴史の関係について書かれていた(今気づいたけれど、著者が「コロナの女王」の岡田晴恵さんだった)。

本書では、国際政治と感染症(以外の病も含まれてる)の関係について書かれている。

人類と病との闘いは、保健医療という専門的な領域内のみで動いているものではなく、大国と中小国のパワーの非対称性、先進国の製薬会社の動向、世界経済の動向など、国際社会の様々な要素によって、常に挑戦を受けている。本書はこうした問題関心を出発点として、人類と病との闘いを、個々のテーマを通して、読み解いていく試みである。(p.ⅳ)

私も大学院の頃に、国際保健について学んだ。当時、大きなテーマになっていたのは、AIDSだ。若かった頃の私は、国際という観点で病気を見ることができていなかった。感染経路や症状や原因や治療法について関心はあったが、国際保健さらにはその背景にある国際政治にまで考えを深めることは全くできていなかった。

そして今では、国家間の枠組み国際保健(International Health)から、国家以外の組織である企業や財団やNPOを含むグローバル・ヘルス(Global Health)へと複雑さは増している。コロナでWHOに批判が集まりがちな昨今、改めて本書から最新のグローバル・ヘルスについて学んでみようと思い、購入した1冊だ。気になった箇所を引用してみよう。

1980年5月WHOは天然痘の世界根絶宣言を行った。ちなみに「根絶」されたことの意味であるが、ドナルド・ヘンダーソンによれば、地球上から天然痘ウイルスが完全に消滅されたことを意味するのではなく、人類の間でウイルスの感染が見られなくなったことを意味する。(p.79)

国際協力による感染症対策で最も成功したのは、天然痘と言える。天然痘はウイルス感染症で、原因となる天然痘ウイルスは分類上、ポックスウイルスに属し、2本鎖のDNAウイルスでエンベロープ(膜状の構造)を持っている。

(ポリオは)なぜまだ根絶に至っていないのか。(中略)患者を発見しにくいという問題点がある。(中略)ポリオはポリオウイルスに感染したすべての人に麻痺症状が出るのではなく、またその麻痺症状がポリオウイルスによるものか否かを見極めるのも難しいという。(p.89)

一方で、似たようなウイルス感染症であるポリオ(急性灰白髄炎)は、根絶には至っていない。残すところ常在国はパキスタンアフガニスタンの2カ国であるが、ワクチン接種が進み、根絶されることを願うばかりだ。なお、ポリオウイルスは、1本鎖のRNAウイルスでエンベロープはなくカプシドで覆われている。構造は非常にシンプルだと言える。

ちなみに昨今話題のコロナウイルスは、1本鎖のRNAウイルスでエンベロープを持っている。ポリオウイルスとコロナウイルスは分類上、結構近いのだ。

一方で、ウイルス性ではない感染症がある。最も有名なのはマラリア感想文17-34:人類50万年の闘い マラリア全史参照)だろう。

マラリア対策において、もはや根絶は目指すところではなく、新たな感染者の数を減らしていくことに目標は切り替わってきている。WHOは2030年までにマラリアによる乳幼児の死亡率を90%以上減少させるという具体的な目標を掲げている。(p.102)

マラリアには多くのお金が投入されており、患者数も死者数も大幅に減少したが、根絶は現実的ではないと判断されている。

マラリアは媒介物が存在するため、天然痘やポリオとは異なり、ワクチンだけで根絶できない難しさがある。(中略)有効なワクチンや治療法が登場しても、それらが知的財産保護の枠組みのもとで高価であるため、マラリアが流行しているアフリカの人々にとっては、高嶺の花であり続けている。(p.104)

マラリア対策は、診断、治療、ベクターコントロールの3つと言われている。治療薬やワクチンは高価格にならざるを得ない構造になっている中で、コスパ的に最も効果が高いのは蚊帳である(感想文17-50:日本人ビジネスマン、アフリカで蚊帳を売る参照)。感染症対策は、何も治療薬やワクチンといった最先端の科学技術の結晶でなくともできることはあるのだ。

感染症が各国の安全保障に影響を与えうるということは、感染症に対して、政治指導者による、政治的な関与が増えることを意味する。つまり感染症対策に国際政治が反映されるようになる。(p.142)

今回の新型コロナウイルス感染症への各国対応はまさに政治指導者による関与の好例となっている。日本では首相だけでなく、都道府県知事も大なり小なり関与があり、給付金、休業支援、観光支援事業、外食産業への支援事業ほか、ライトアップによるアラート、安全対策かるた、イソジンでうがいすれば大丈夫説の発表など、一体誰が考案し、一体誰がゴーサインを出したのか疑問が残る施策が連発された。海外でも大統領が感染したり、マスクを拒否したり、ロックダウンしたり、集団免疫を獲得するためにノーガード戦法を採用したりと、様々だ。

人類と病との闘いの歴史は、国際協力の重要性が認識された歴史でもあった。他方、いったん国際的な協力枠組みが形成されると、そこは国家、国際機関、財団、民間セクター等、多様なアクターが関わる複雑な政治アリーナと化してきた。(p.218

新型感染症生活習慣病に対応するために、国際協力は必須で、だからこそ政治アリーナが形成されている。人類は病から逃れるためにかなりのコストを支払っているのだが、健康なときは認識されにくい。昨今のコロナ禍に陥った場合に、国際協力の重要性とそこにどのくらいコストを支払ってきたかが問われる。

アフターコロナなのかウィズコロナなのか、世界はどう変わっていくか予断を許さないけれど、政治アリーナでのしっちゃかめっちゃかをしばらくは見続けることになるだろうし、そういう状況になってしまう構造があるということを理解した上で、乗り越えていくしかない。

いつかコロナは収束するのだろうけれど、まだまだ時間がかかるだろう。

感想文17-50:日本人ビジネスマン、アフリカで蚊帳を売る

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※2017年10月16日のYahoo!ブログを再掲

 

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何度か書いたように思うけれど、私の初めての海外渡航先はケニアだ。だから私は、ケニアに、アフリカに強い思い入れがある。

日本の企業がアフリカで蚊帳を販売し、成功しているという話は聞いたことがあった。しかし、それは日本に古くからあるローテクの蚊帳をアフリカで販売したら、それなりに売れた程度の話としてしか認識していなかった。そうではないのだ。そんなちゃちな話ではないのだ。

オリセットRネットとは、日本の化学メーカーが世に送り出した、高性能蚊帳である。遠くアフリカをはじめとする海外の途上国で、マラリア防除などのために、年間にして数千万張りの規模で使われている。(p.1)

化学メーカーとは住友化学のことであり、販売しているのは、「高性能」蚊帳であり、その数年間数千万張りの規模になる。

研究開発し、WHOに認めさせ、現地に工場を作り、現地で営業し、販売する。多くの人間の思い、苦労、試行錯誤、忍耐、努力、執念、あるいはそれを超える何か、そういったもの全てが一つの蚊帳という商品に織り込まれている。

マラリアという大きな課題があり、それを多くの人は認識しているが、それを解消することはできなかった。単なる社会貢献ではなく、単なるアフリカでのビジネスでもない。社会貢献しながら、ビジネスとしても成立する、それを達成したのが、このオリセットなのだ。

蚊帳が「物理的な破れにくさ」と「長く持続する殺虫剤の効果」。(中略)「できるだけ大きな網目」。オリセットのもつ明らかな優位性は、テストと評価を延々と繰り返すことで、確立されていったのだ。(p.41)

オリセットには既存の蚊帳にはない優位性がある。しかし、価格が高いせいもあり、既に販売されている蚊帳の牙城を崩すのは難しい。良い物だから売れる、というわけではない。

挑戦すれば、毎日、新たな壁が立ちはだかる。継続して壁を乗り越えていくDNAが組織に組み込まれない限り、アフリカのようなアウェイの地で、日本企業が新しい製品を市場に投入し、シェアを築くことは難しい。(p.386)

本書は、オリセットが世に出て、アフリカで受け入れられるまでの軌跡を描いている。ビジネスは簡単ではない。日本から遠いアフリカでのビジネスとなると、その難易度は格段に高くなる。

しかし、こういったチャレンジングな仕事は数多く残されている。放っておけない、見過ごせない、看過できない、何か心に引っかかる事象、それが人生をかけるに値する仕事になるかもしれない。

日本だけがこういった問題に先進的に取り組んでいるというわけではないだろう。それでも日本の企業が、日本人が、この事業に成功したという事実を嬉しく思う。先進国としての日本が成すべきことであり、責務であるとも思う。

本書で勇気をもらった。私自身の取り組みに反映できたら良いな。

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(感想文の感想など)

後日、住友化学の方とお話する機会を持つことができた。

取り組みとしては大変素晴らしいもので、またオリセットネットを通じて住友化学という会社に興味を持ち、新規採用の門を叩く学生が少なくないとのことだった。

他方でビジネスとしては「結果的に」うまくいってはいない。WHOが殺虫剤を練り込んだ蚊帳を買い取るのだが、より安価な類似品が多数登場し、市場を奪われてしまったのだ。

蚊帳がマラリア予防に最も効果的であることは実証され、オリセットネットが多くの命を救ったのは間違いのないことだ。しかし、それによって住友化学は金銭で十分な対価を得たとは言い難い。

だが、こういった取り組みが次世代の若者たちへの刺激となり、新たな人類の叡智を生み出すであろうことを期待したい。ビジネスはかくも難しく、厳しい。しかしビジネスというコンセプトを拡張すれば、金銭ではない実りは多く得られたのであろうと、信じたい。

感想文17-34:人類50万年の闘い マラリア全史

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※2017年7月11日のYahoo!ブログを再掲

 

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医薬品とノーベル賞(感想文17-28)を読み、マラリアについて調べたくなり、辿り着いた本書。そもそもマラリアとは何か。ウィキペディアによると『熱帯から亜熱帯に広く分布する原虫感染症』とある。

私にとって初めての海外旅行の目的地はケニアだった。黄熱病の予防接種は受けたが、マラリアはワクチンがなく、とにかく長袖を着て、蚊に刺されないよう気をつけていた。結局は、全く蚊にさされることなく帰国し、健康面での問題と言えば、現地で食べすぎて腹痛になった程度だった。

マラリアは当時から大きな問題であったが、さすがにこれほど科学が進めばだいぶ制圧されたかとばかり思っていた。ところが現実は全く違った。

WHOによる最新のマラリア報告書によると、2015年の推定感染者数が2億1,200万人、推定死亡者数が42万9,000人である。年間に43万人もあの世に連れて行く激烈な感染症で未だに猛威を奮っている。近年、確かに感染者数や死亡率は大幅に低下しているとはいえ、マラリア撲滅への道はまだまだ遠く、終わりは見えない。

ゲノム編集とは何か(感想文16-39)で紹介されていた遺伝子ドライブによってアフリカの蚊を駆逐できるかもしれないが、果たしてどうだろうか。バッタを倒しにアフリカへ(感想文17-30)に登場するサバクトビバッタのことを考えると、ハマダラカはより小さく、さらに広い土地によりたくさん生息している。それらを駆逐するのは果たして現実的なのだろうか。

マラリアの原因は蚊ではなく、あくまで原虫だ。蚊は運び屋であり、有性生殖の場である。考えてみると、蚊は確かにマラリアに限らず様々な感染症の原因となる厄介な生物であるが、マラリア撲滅のために駆逐されてしまうというのは、蚊の気持ちになるととばっちりとしか思えない。

遺伝子ドライブは興味深い試みであり、もしかしたらサバクトビバッタにも有効かもしれないが、人間の都合で特定の昆虫を絶滅させるという取り組みは、どうも感心しない。自然界への過剰な介入なのではないだろうか。

話が逸れた。マラリアの話に戻ろう。

まず50万年の長きにわたって人類と蚊とを手玉に取り続ける、マラリア原虫の驚異的な技です。抗マラリア剤をたちまち無力化し、私たちの防御機能-免疫を巧みにすり抜けて、微塵も衰えることなく人類集団の中に居座り続ける様を見れば、薬剤耐性細菌の脅威などは単純なものに思えるくらいです。(p.376)

と、訳者あとがきに書かれているように、マラリア原虫は強かに生き延びている。キニーネDDTによってマラリア原虫は制圧されたかに見えたが、人間の知恵に抗い生き続けている。

マラリア原虫は、巨大ウイルスと第4のドメイン(感想文16-19)の説明にあるように、ヒトと同じ真核生物のドメインに属する。蚊の吸血時に体内に侵入し、無性生殖によって増殖し、再び蚊に吸われて蚊の体内で有性生殖する。これがざっくりとしたマラリア原虫の戦略だ。

マラリアは多くの人々には「穏やかな」病気かも知れない。だが、この病気にかかると他の病気にかかりやすくなることが、20世紀初頭以来分かっている。(p.104)

マラリアで本当にヤバイのは熱帯熱マラリアで、致死的な感染症だ。とはいえ、それ以外のマラリアでは死ぬことはほとんどなく、周期的に高熱が出る。しかし、他の病気にかかりやすくなるというのは、キツい。マラリアにより脆弱化し、健康状態が悪い方向へシフトしてしまう。

スプレーガン戦争の失敗によってわかったことは、マラリアを解決法が一つしかない疾患として処理することの愚かしさだった。というのは、この戦争が失敗に終わった時点で、ざっと1000ほども失敗の理由が挙げられたのだから。(p.335)

スプレーガン戦争とはDDTの噴霧によるマラリア根絶運動のことだ。結局は、DDTに耐性のあるハマダラカが出現し、挫折に終わる。

本書では、人類が50万年もの長きにわたってマラリアとともに過ごしてきた歴史を描いている。マラリア原虫という微生物は凄まじい数の人類を死に追いやってきた。未だに闘いは続いており、ヒトが勝つという確たる未来は描けていない。

それでもいつか科学技術が数多の感染症を制圧する時が訪れると信じている。

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(感想文の感想など)

世間はすっかり新型コロナ感染症でパニックとなっている。遠い発展途上国で起きているマラリアやNTDsに思いが馳せられることはほとんどないし、切望されている治療薬やワクチン開発に必要なリソースはコロナの後回しにされ、投下されない。

そりゃあ、コロナワクチンのほうが遥かに儲かるからね。

感想文17-30:バッタを倒しにアフリカへ

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※2017年6月27日のYahoo!ブログを再掲

 

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インパクトのある題名。なぜバッタを倒すのか。それは蝗害(こうがい)からアフリカを救うためだ。著者の前野ウルド浩太郎さんは、1980年生まれの若い研究者だ。

本書は、人類を救うため、そして、自身の夢を叶えるために、若い博士が単身サハラ砂漠に乗り込み、バッタと大人の事情を相手に繰り広げた死闘の日々を綴った一冊である。(p.7)

本書は、単身モーリタニアに乗り込み、フィールド調査でサハラ砂漠を駆け巡り、様々な苦難を乗り越えていく、勇気と情熱を与えてくれる本である。

一方で、大人の事情とあるように、研究上の悩みではなく、研究者として生き残れるかどうかその瀬戸際の心情を明け透けに語ってもいる。

バッタとアフリカという観点だけでなく、若い研究者の人生を本人が生々しく描き、苦悩、葛藤、諦観、達観といった移り変わる心理がひしひしと伝わってくる。

前野ウルド浩太郎さんは生粋の日本人である。なぜウルドというミドルネームが入っているのだろうか。

ウルド(Ould)とは、モーリタニアで最高に敬意を払われるミドルネームで、「○○の子孫」という意味がある。(中略)かくして、ウルドを名乗る日本人バッタ博士が誕生し、バッタ研究の歴史が大きく動こうとしていた。(p.83)

受け入れ先であるモーリタニア国立サバクトビバッタ研究所のババ所長にその熱意が認められ、ミドルネームを入れることにしたのだ。本書はタイトルだけでなく、著者名にもインパクがある。

バッタとイナゴは相変異を示すかいなかで区別されている。相変異を示すものがバッタ(Locust)、示さないものがイナゴ(Grasshopper)と呼ばれる。日本では、オンブバッタやショウリョウバッタなどと呼ばれるが、厳密にはイナゴの仲間である。(p.113)

相変異について聞いたことがあるなと思ったら、クマムシ博士の「最強生物」学講座(感想文14-09)で登場していた。バッタとイナゴの違いって相変異で決まるのだ。よって、オンブバッタとかショウリョウバッタはイナゴの仲間であり、バッタではない。虫の世界は面白い。

そうだ。無収入なんて悩みのうちに入らない気になってきた。むしろ、私の悲惨な姿をさらけ出し、社会的底辺の男がいることを知ってもらえたら、多くの人が幸せを感じてくれるに違いない。(p.266)

今時の研究者は、強かさがないと生き残れない。前野さんは自分のキャラ押しで研究者としての道を切り拓くことに成功した。こういったキワモノ的な行動には妬み嫉みの入り混じった批難が起きるのが常だが、何も好き好んでこういう行動を選択したわけではなく、昆虫と同じく生き残り戦略として追い込まれて導き出されたのだと思う。

科学や研究に投入される国家予算が減らされ、イノベーションと称し近視眼的な研究にばかり投資される昨今、研究者が純粋な好奇心だけで生きていくのは大変厳しい環境になっている。過酷な砂漠で強かに生きるサバクトビバッタは、日本の若手研究者にとって良いモデルかもしれない。

幸運にも前野さんは日本で研究職としてのポジションを得ることができ、こうして本を出版することもできた。大人の事情に悩み苦しみ、か細い稜線を踏破し、昆虫学者として確固たる地位を確保している。

私自身、振り返れば、到底研究者になることについては、実現可能性の低さと運要素の大きさを前にして、早々に諦めた口だ。いや、後付けの言い訳は止めておこう。結局は、自分自身にその能力がない上に、そこを乗り切ってでもやりたい研究を見つけることができなかったのだ。

それでも本書を通じて私は勇気をもらった。何か新しいことにチャレンジする。色あせてきているが、年初に誓った思いのはずだ。一歩踏み出す、と。まずはそこからだ。よし、やってみるか。

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(感想文の感想など)

コロナのせいで話題になっていないが、コロナがなければ世界的な大問題としてもっと取り上げられていたであろうサバクトビバッタ蝗害問題。【国際】FAO、サバクトビバッタ蝗害が2021年にも継続と警鐘。追加支援金が40億円必要と試算によると『被害額に換算すると8億米ドル。1,800万人分の食糧が失われた』とのこと。

サバクトビバッタの大群が日本に来てもきっとだいじょうぶだろう。なぜなら前野ウルド浩太郎さんがいるのだから。

感想文17-28:医薬品とノーベル賞

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※2017年6月9日のYahoo!ブログを再掲

 

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炭素文明論(感想文14-11)以来の佐藤健太郎さんの本。会社の後輩に借りて読んだ本。佐藤さんは難しいことを分かりやすい文章で説明してくれる、そんな技量のある貴重な書き手だ。私には、非常にフィットして、読んでいて心地よい。

2015年に、大村智さんとウィリアム・C・キャンベルさんが「線虫の寄生によって引き起こされる感染症に対する新たな治療法に関する発見」でノーベル生理学・医学賞を受賞した。大村さんのことは受賞して初めて知った。自分の不見識を恥じるばかりだ。同時に「マラリアに対する新たな治療法に関する発見」で屠呦呦さんも受賞している。両者ともオンコセルカ症とマラリラという顧みられない熱帯病(Neglected Tropical Diseases)に対する貢献という共通項がある。なぜこれらが受賞に至ったのか、というのが本書の重要な着眼点である。

人間が生活する上で、今や薬は欠かすことができない。病気や怪我をした時に、薬に頼る。薬は、健康を維持し、QoLを高めることに大きく貢献している。

他方で、高額のがん治療薬「オプジーボ」が登場したように、最先端技術が応用されたがん治療薬、再生医療などは、新しい時代の薬や医療の象徴となるのかもしれない。

これまでにない全く新しい薬を作り出すことは極めて困難になっている。しかし、製薬企業はその巨体をごくわずかな商品で維持している。

臨床試験も専門の企業に任せてしまうことが多く、大手製薬企業は権利を買って製品を売るだけ、という医薬が増えてきました。いわば、製薬企業は「製薬」する企業から徐々に「医薬商社」にシフトしつつあるのです。(p.121)

なるほど。医薬商社としての製薬企業かぁ。薬は確かに儲かる。しかし、儲かる薬を生み出すのは非常に難しいし、成功確率は極めて低い。そのため、赤い罠 ディオバン臨床研究不正事件(17-07)にあるように他社製品との僅かな違いを誇大広告するようなことが行われ、臨床試験のデータを改ざんしていた疑いが起きている。

近年のノーベル賞は、貧困の解消や環境問題への貢献が重視される傾向があります。(p.212)

なるほど。真の科学技術の意義とは何か、そのことを改めて考えさせられる。

(オンコセルカ症やマラリラの治療薬開発による大村先生ら)3氏の受賞は、現代の製薬企業の方針に対する、ノーベル賞委員会からのアンチテーゼであったとも受け取れます。先進国の老人たちを数ヶ月長生きさせる薬を創り、何千億円を稼ぐ-そんな医薬創りが、果たして正しい姿なのか?と、問いかけているようにも見えます。(p.212)

辛辣な意見だが、正鵠を射ている。先進国の老人たちを数ヶ月長生きさせる薬。これは確かに製薬企業にとって儲けになるが、果たして何の意味があるのだろうか。世界中には未だ感染症で苦しむ人はたくさんいる。しかし、儲けにならないので、その問題を解決するために研究開発が行われることはない。

ネット環境が整備され、誰もがスマホや携帯電話を持ち、簡単につながり、簡単に情報が共有されるようになった今でも、多くの人はテロや戦争の被害にあい、殺され、飢餓に苦しみ、感染症は克服されない。

科学技術が金儲けの手段となり、その圧力はさらに強くなり、産業連携という名目で儲かる、儲かりそうな研究に強くシフトしていく。

日本はこれからノーベル賞不遇の時代を迎えることだろう。基礎的な研究を疎かにしてきたことの代償であり、国際社会の中での日本の科学技術のプレゼンスは確実に低下するし、実際に低下している。

もちろんノーベル賞が全てではない。しかし、日本がこれからどのような姿勢や考え方で研究開発を国家として進めていくのかノーベル賞委員会からのメッセージは示唆に富んでいて、傾聴に値するだろう。

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(感想文の感想など)

免疫チェックポイント阻害因子の発見とがん治療への応用により、2018年にノーベル生理学・医学賞本庶佑先生が受賞したのは記憶に新しい。

オプジーボはまさに、先進国の老人たちを数ヶ月長生きさせる薬ではあったのだけれど…。がんと免疫については改て勉強したいところ。

感想文17-07:赤い罠 ディオバン臨床研究不正事件

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※2017年2月7日のYahoo!ブログを再掲

 

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今から約3年前の2013年頃にこのディオバンの研究不正問題が大きく取り沙汰された。論文は撤回され、責任著者の京都府立医科大学の教授は辞職した。さらに問題となったのは、製薬会社のノバルティスファーマ社がこの臨床試験に深く関与していたことだ。利益相反であると非難された。

その後、京都府立医科大学だけでなく、東京慈恵医科大学、滋賀医科大学千葉大学名古屋大学臨床試験に関与していたことが明るみとなった。

遂には、利益相反だけではなく、肝心の臨床試験のデータを改ざんしていた疑いが起こった。その結果、

2014年6月11日、高血圧治療薬に関わる臨床研究論文不正に関与した疑いで製薬会社の元社員が逮捕されるという事態が発生した。研究論文不正で逮捕者が出るという事例は、医学界のみならず、あらゆる学問領域において前代未聞の出来事である。

とあるように、ついに件のノバルティスの社員は逮捕されるに至った。判決は2017年3月16日予定なので、現時点では未だ結審していない。真相は未だはっきりしていない。

本書は、ディオバン関連論文について発表当所から内容に疑義を抱き続けてきた高血圧の専門家としての視点、また、日本医師会から推薦を受けた厚労省調査委員会委員としての視点から事件の経緯を整理し、問題点を明らかにしようとするものである。

私は医師でもなく、製薬会社の人間でもなく、今のところ高血圧患者でもない。とはいえ、医学系の大学院を修了し、こういった薬剤、統計、臨床研究の関わりについて関心を持ち続けており、久しぶりに本書を通じて考えてみることにした。

私が大学院生の頃(もう15年も前のことだが…)、EBM(Evidence Based Medicine)がちょうど盛り上がっていた時期だ。医師が勘や経験に頼る医療はもう時代遅れで、エビデンス(根拠)に基づいた医療こそが正しい医療とする考えだ。当然、EBMへの反発は当時あった。

同時代的に分子生物学も盛り上がってもいたのだが、その修士課程のカリキュラムでは医療統計学や疫学を履修し、そもそものエビデンスとは何か、エビデンスの強弱とは何か、妥当性とは何か、エンドポイントとは何か、研究デザインとは何か、こういったことを学んだ。あいにく学んだことを活かす仕事に就いていないので、忘れつつあるのだけれど…。

当時に比べて、随分と医療現場にもEBMが根付いたのかもしれない。しかし、

エビデンスを批判的に吟味することなく盲信してしまう風潮も生まれ、それが今回のディオバン事件の一因となった。

とあるように、EBMが根付いたからこそ、エビデンスを無根拠に信じ込んでしまうことが起きていたのかもしれない。

「種まきトライアル」(seeding trial)とは、企業が新薬の販売を促進するために企画する臨床試験のことであり、いわば研究の名を借りた販売促進手法の一つである。(中略)研究目的に科学的意味はほとんどない。

製薬会社はごくわずかな商品による大きな売上で多くの社員を雇用し、その巨体を維持している。今回のように需要の多い高血圧治療薬では、そのシェアを伸ばそうと苛烈な競争が起きている。

そこで広告宣伝は当然重要となるが、そのウリ文句として言えるような根拠のために種まきトライアルが行われる。これは研究開発ではなく、単なる販売促進でしかない。他社製品との僅かな違いを誇大広告する。こういったことが日常的に行われているのは、ビジネスモデルに起因している。

ディオバン事件は様々な問題点を浮き彫りにした。特に患者のためのEBMが、製薬会社の利益ために歪められ、結果的に患者に不利益をもたらしてしまっているということだ。

処方される患者はその薬のエビデンスまでチェックすることは通常ないし、チェックしたとしてもその原著論文やさらには研究デザインやデータまで吟味することはないだろう。

post-truthポスト真実)やalternative facts(オルタナ・ファクト)という言葉が今の時代を表すワードとして注目されている。科学的な批判に耐えうるような根拠をめぐる戦線は、今後も広がっていくだろう。

欲望と理性の二項対立という単純な図式ではない。今や世界は混沌とし、抱える課題は複雑に絡み合っている。正しく物事を認識するためには、費用も時間もそして覚悟も必要となったということに早く慣れないといけない。

本書の射程から外れてしまい、風呂敷が広がりすぎたきらいがあるが、今の空気は、根拠が、そもそもの科学が標的にされつつあると感じてならない。

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(感想文の感想など)

事件はどうなったか。

2017年3月16日:元社員とノバルティス社に対して無罪判決(東京地裁

2018年11月19日:控訴棄却=無罪(東京高裁)

現在、最高裁に上告し、最終決着はついていない。

感想文14-09:クマムシ博士の「最強生物」学講座

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※2014年2月19日のYahoo!ブログを再掲

 

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著者の堀川大樹さんは、クマムシを専門とする生物学者だ。1978年生まれということで30代なかばの若手研究者だ。私と同い年で少し親近感がわく。

クマムシは聞いたことがある人も多いだろう。ものすごく過酷な環境でも生きられる、地球上で最もタフな生物の一つだ。本書では捕まえ方だけでなく、飼育方法まで掲載された実践的な一冊となっている。

2014年1月24日の日経新聞で『零下196度でも死なないヒルを発見』という記事があった。ヌマエラビルという種類のヒルで、凍結して解凍しても生きているとのこと。

また、2014年1月2日の産経新聞で『“絶食”のまま6年目 三重のダイオウグソクムシ』という記事もあった。6年間も餌を食べないでも生きていられる。世の中は広いもので、人間の常識では考えられないような生物が生息している。調べられていないだけで、まだまだ驚きの能力を秘めた生物がいるかもしれない。

さて、本書で気になった箇所を挙げておこう。

プロフェッショナルの日本人クマムシ研究者は、私を含めて5、6人といったところだ。

少ない。わりと知名度のある生物だけれど、プロの研究者は少ないようだ。意外だなぁ…。

堀川さんが発見したのは、「ヨコヅナクマムシ」という種類のクマムシ。発見したのはいいけれど、そのクマムシを飼育するためにかなり苦労されたようだ。要するに何を食べてくれるか分からないと、死んじゃうので、増やしようがない。

餌もクロレラ工業株式会社の「生クロレラV12」という特定の銘柄のクロレラしか食べない。

マニアックな生物は好みもマニアックだ。どうやら魚の餌らしい。ちょっと銘柄が違うだけで食べてくれないとのこと。

本書では、クマムシだけでなく、最先端の生物学について分かりやすく紹介している。印象的だったのは、人工化合物のクロロウラシルが、DNAのチミンに置き換わった大腸菌が生まれたという話。

今回の研究結果から示されたことは、「生物を作る部品は現存する分子でなくてもオッケー」ということだ。

DNAという生物の基幹ともいえる分子ですら置換可能という事実であり、いわゆるサイボーグ化した大腸菌が現実に誕生している。思った以上に生物は柔軟だ。

それから、初めて知ったこととして、サバクトビバッタの相変異のこと。

個体密度が低い環境では、孤独相とよばれるモードになっている。しかし、個体が密集した環境で生育すると、その子どもは親に比べて飛翔力に優れた形態をもち、群れを作るようになる。体色も、緑色から黒色へと変化する。このモードは、群生相と呼ばれる。 

大量のバッタが畑に飛んできて、食い荒らして去っていくといったことがたまにニュースになる。その犯人がサバクトビバッタだ。群れをなすとモード・チェンジする。ウィキペディアには写真も載っているけれど、孤独相と群生相では、色も違えば顔つきも違う。同一種だとは思えないほどの変わり様だ。こういう生き物もいるんだね。

私は、国に頼らずに十分な研究費を確保する手段として、キャラクタービジネスを提案したい。

ほほう。堀川さんは実際にクマムシさんというキャラクタービジネスを展開している。

確かに可愛い。もふもふしたい。実際の大きさとはずいぶん異なるけれど。

キャラクタービジネスは当たれば大きい。ふなっしーもテレビで引っ張りだこで、関連グッズはたくさん発売されて、結構売れている。とはいえ、既にたくさんのゆるキャラ自治体で製作され、過当競争になっている。巷にゆるキャラはあふれ、飽和状態だ。

それでもキャラクタービジネスは魅力的な資金源となりうる。特許権と同様に当たる可能性は低いものの、そんなに維持管理費用をかけずにビジネス展開できるのは長所といえよう。可愛さだけでなく、ある種のキモさ、際どさといった他にない魅力をアピールできるとブームになるかもしれない。国に頼らない研究費の稼ぎ方を模索するというのは、何とも現代の研究者らしい。

しかしながら、得てしてキャラクター性が強いのは、生み出されたクマムシさんではない。生み出した堀川さんご本人だろう。本書では、堀川さん以外にも生物学者が登場するが、どの方もキャラが濃い。世間的には変人と分類されることだろう。

キャラクタービジネスへの展開を推奨するのは、ご自身や付き合いのある研究者を投影した結果なのかもしれない。ポストさかなくんになれるか。今後の動向が楽しみだ。

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(感想文の感想など)

今現在、堀川さんはポストさかなクンにはなっていない。別に目指していたというわけでもなかろう。研究者によるキャラクタービジネスは私の知る限りでは進んでいるとは言い難い。

むしろクラウドファンディングを活用したり、(私はあまり知らないが)ユーチューバーとして研究費を確保している方がいるのではないだろうか。

国から基礎研究への投資は減少傾向にある一方で、国以外から研究費を集金する仕組みやアイデアはまだまだたくさんある。マジメに科研費を獲得するために書類を作成するのも良いが、拘らなければやりようはあると思う。別の道も、そりゃあ、大変だけどね。