40代ロスジェネの明るいブログ

2020年1月11日からリスタート

感想文22-13:宋姉妹 中国を支配した華麗なる一族

 

こちらも会社の方にお借りした本。なかなか自分ではセレクトしない一冊。

主人公はタイトルの通り、宗家の三姉妹である。

宗家の三姉妹は、それぞれ、靄齢(あいれい)、慶齢(けいれい)、美齢(びれい)と名づけられた。母親譲りの切れ長の目が愛らしい三姉妹だった。暮らしには何の不自由もなかった。上海でも指折りの財力を誇る父に、子どものために費やす金を惜しむ必要などなかった。(p.9)

ちなみに宗家には三兄弟もいて、男3人、女3人の6人きょうだいである。

本書で、次女の慶齢は孫文と結婚し、三女の美齢が蒋介石と結婚することを初めて知った。よって、三姉妹、特に慶齢と美齢は中華人民共和国の成立、そして台湾の成立(中華民国の台湾進出)といった中国と台湾の歴史に深く関わっていく。

1915年に孫文と慶齢は結婚する。

2人の結婚はそれから2年後、孫文49歳、慶齢22歳の秋のことだった。<中略>親子ほどの年齢の差。しかも当時孫文には妻がいた。(p.27-28)

しかし、

孫文と慶齢との暮らしはわずか10年にも満たず終わった。<中略>このときまだ慶齢はまだ32歳。彼女は、夫であり、教師であり、革命の同志であり、思想上のリーダーでもあった人物を一時に失ったのである。(p.38)

「中国革命の父」と呼ばれる孫文(1866-1925)が亡くなり、その跡を継いだのが蒋介石だ。

蒋介石は、宋・孔両家の財力と結びつき、「孫文の義弟」という名誉も得た。敬虔なクリスチャンとして知られる美齢との結婚を欧米列強も歓迎した。反帝国主義と反キリスト教が結びついた中国に、キリスト教に理解を示す新たな指導者が誕生したのである。(p.76-77)

孫文の思いを引き継いだはずの蒋介石だが、慶齢と美齢は離れていく。同時にその思い違いは中華民国国民政府と中国共産党との内戦へと発展していく。

美齢と蒋介石の結婚によって完成した「宋王朝」。その礎となったのは、孫文と慶齢との結婚であった。だが、慶齢は、この「宋王朝」との対決の姿勢を終生崩すことはなかったのである。(p.93)

また、内線した中国の周辺にある国際情勢が極めて複雑になっていく。アメリカ、ソビエト、日本。いくつもの戦争が起き、収まり、そして内戦が再び起こる。蒋介石は最終的には台湾へと逃げ帰ることになる。

宋王朝」は終わりを迎え、三姉妹は歴史の表舞台から姿を消していく。しかし、複雑でダイナミックな中国と台湾の歴史に三姉妹は深く関わり、時に対立し、多くの人間を巻き込んだ。

私が生まれるずっと前の時代に、アメリカに留学し、何度も外国を行き来し、メディアを使って訴える女性たちがいたことに心底驚いている。

本書は1994年に放送されたNHKの番組を中心に、その後に明らかになった事実を盛り込んで書き下ろされ、1998年に出版している。

当時、存命だった美齢さんにコンタクトを取ろうとしたが、残念ながら実ることはなかった。2003年10月23日にお亡くなりになったらしく、美齢さんは1世紀以上も生きたのだ。歴史上の人物である蔣介石の妻が21世紀まで生きていた事実に驚く。

その後、ソビエトは崩壊し、ロシアになり、強い指導者が求められプーチンが台頭し、その基盤は強固となり、次第に頑迷になり、ウクライナを攻め込み、国際社会から孤立している。中国では、毛沢東中華人民共和国を建国するが、文化大革命天安門事件と内乱状態が続き、今では感染症が蔓延し世界を一変させ、アメリカとの関係は冷え込み新冷戦と言われて久しく、また香港、台湾、ウイグルなどで緊張状態が続いている。

久しぶりに国際情勢について考える良い機会になった。今起きていることだけでなく、これまでに起きてきたことまで射程に入れて考えると、現在を少し深く知れたような気持になる。とはいえ、当事者ではないので、受動的に映画を見ているような感は拭えないんだけれど。

感想文22-12:火花



本書はお笑いタレントの又吉直樹さんによる小説。非常に有名。

芥川賞を受賞し、調べてみるとドラマ化され、映画化され、舞台化され、漫画にもなっている。一大産業やな。

こちらも会社の方にお借りして読んでみた一冊。毛嫌いしていたわけではないけれど、流行モノにはあんまり手を出したがらない性分なので、これまで読んだことはなかった。ちなみに又吉さんのいるピースのコント『男爵と化け物』で大いに笑ったのは覚えている。

お笑い芸人による、お笑いの芸人が主人公の小説なので、お笑い芸人やその世界のリアルが詰まっている。本当にリアルなのかは知らんけど、説得力がある。

僕達の永遠とも思えるほどの救い様のない日々は決して、ただの馬鹿騒ぎなんかではなかったと断言できる。僕達はきちんと恐怖を感じていた。親が年を重ねることを、恋人が年を重ねることを。全てが間に合わなくなることを、心底恐れていた。自らの意思で夢を終わらせることを、本気で恐れていた。(p.141)

芸人で飯が食えるのはごく一部の人で、活躍し続けられるのはほんの一握りだ。売れることを夢見て、しがみついて、歯を食いしばって、笑いへの熱を維持しながら、年老いていくことに心底恐怖する。

芸人ではないけれど、音楽の世界だったり、学問の世界だったりで、近い環境に身を置いている人は決して少なくないだろう。

本書が、単なる芸人物語ではなく、小説らしいなと感じたのは、きれいに感動で幕を閉じるのではなく、「笑い」と同居している「狂気」まで描き切ったところだと思う。恐怖と狂気は地続きで、笑いの世界に蔓延する恐怖が狂気に昇華する。

同じくお笑い芸人である山田ルイ53世髭男爵)による本、一発屋芸人列伝(感想文18-54)を思い出す。お笑い芸人は多くの漫才やコントを書いているし、研究のために他の芸人の舞台を見る機会も多いだろう。筆達者なお笑い芸人が多く、着眼点がユニークで、しかも裏側の事情にも詳しかったりするので、お笑い芸人による本がたくさん出版されているのも合点がいく。

とはいえ、一発屋でも何でも良いから一度売れないと、出版のチャンスすらないので、本業で頭角を現すほかないのが厳しい現実だ。

コロナ前だけれど、お笑いライブを見る機会があった。メジャーな事務所による、都内有数の舞台なので、出演者はテレビでもよく見かける(た)著名な芸人ばかりだ。

だが無名の芸人が、前座に登場した。前座とはいえ有望株なのだろう。その芸人が今、頭角を現してるかというと、そうでもないな。たぶん。ちゃんとは覚えてないんだけれど。

芸能界という華やかな舞台に憧れ新規参入する若者はたくさんいる。華やかさの裏側は多産多死の過酷な競争社会。だからこそ、これだけのクオリティが維持されているのだろう。

最後に以下の文章を引用しておこう。

もしも「俺らの方が面白い」とのたまう人がいるのなら、一度でも良いから舞台に上がってみてほしいと思った。「やってみろ」なんて偉そうな気持ちなど微塵もない。世界の景色が一変することを体感してほしいのだ。自分が考えたことで誰も割らなない恐怖を、自分で考えたことで誰かが笑う喜びを経験してほしいのだ。<中略>リスクだらけの舞台に立ち、常識を覆すことに全力で挑める者だけが漫才師になれるのだ。それがわかっただけでもよかった。この長い年月をかけた無謀な挑戦によって、僕は自分の人生を得たのだと思う。(p.150)

自分で考えたことで誰かが笑う喜びに魅了され、同時に恐怖し、そして狂っていく。一瞬のきらめきと儚さは、火花というタイトルに集約されている。

感想文22-11:星の子

 

今村夏子さんによる小説。今村さんの作品は初めて読んだ。会社の方にお借りした本であり、40過ぎのおじさんである自分ではなかなか選択しない一冊。なお、本書は2020年に芦田愛菜さん主演で映画化されている。映画は見てない。

中学3年生の少女が主人公の小説を読む機会がそもそもないので、非常に新鮮だった。遡ると2008年に読んだ『西の魔女が死んだ』以来ではなかろうか。その前は、さらに10年以上前、たぶん私が大学生くらいに読んだ、『風葬の教室』かな。

長男が中学3年生ということもあって、完全に親、あるいは本書に登場する親戚のおじさん目線で読む。こういう家庭が親戚にいたら、どうするかな。あんまり深入りしたくはないな。

日本の10大新宗教(感想文16-35)を書いたときは、家族で宗教問題が発生していたのだが、コロナもあって、あんまりこの話題は出てこなくなった。でも解決はしていないだろう。宗教の話は難しいな。

好きな人や大事な人が信じていることが、残酷な事態を引き起こし、周りの人を巻き込んでいく物語は現代のホラーとも言える。巻き込まれた方はたまったもんじゃない。知人や親族が客観的に「あたおか状態」になったときにどうすれば良いのだろうか。

本書を読んでも指針はない。なにより余白の多い物語なので、色々と考えさせられてしまう。果たして主人公に「救い」はあるのだろうか。そもそも「救い」とは何だろうか。

歪みや狂いが徐々に顕在化し、主人公の成長とともに可視化され、認識していくが、それでもなお変われない状態にあるし、認知的不協和も引き起こす。周囲の人たちの冷静な行動や言動が絶妙な配合で描写され、気持ち悪さと怖さがミックスされ、何とも言えない読後感があり、その余韻は長い。

自分自身の認識そのものの根底を揺さぶられる。信じているものを本当に信じて良いのか。

感想文16-35:日本の10大新宗教

※2016年10月30日のYahoo!ブログを再掲

 

↓↓↓

著者の島田裕巳さんは有名な宗教学者八紘一宇 日本全体を突き動かした宗教思想の正体(感想文15-45)を読んだことがある。本書はそれよりも以前に出版された新書だ。

10大新宗教とは、①天理教、②大本、③生長の家、④天照皇大神宮教と璽宇、⑤立正佼成会霊友会、⑥創価学会、⑦世界救世教神慈秀明会と真光系教団、⑧PL教団、⑨真如苑、⑩GLA(ジ―・エル・エ―総合本部)のこと。

そもそもなぜこの本を読もうとしたのか。それは椹木野衣さんのアウトサイダー・アート入門(感想文16-06)で大本の出口王仁三郎のことが紹介されていたから。芸術を入り口にして宗教のことに興味を持ったわけだ。

それからもう一つ理由がある。家族で宗教問題が発生しているから。詳しくは書けないし、書きたくないけれど、現実に頭を悩ませている問題になっている。

本書は以前から気にはなっていたけれど、詳しく知りようもなかった新宗教についてコンパクトだけれど丁寧に解説してくれている。まずは自分の経験したことの背景に宗教があったのだということを知った点を挙げておこう。

まさに天理市は、天理教を中心とした「宗教都市」だったのである。

関西出身の私には天理教はわりと身近な存在だった。おぢばがえりという行事があり、そのなぞの言葉響きが記憶に残っていた。ぢばとは「地場」のことだったのだ。一つ長年のなぞが解けた。入信するつもりは微塵もないけれど、一度、宗教都市に行ってみたい。

戦後に勢力を拡大してからの立正佼成会は、創価学会と対抗し、反創価学会系の新宗教教団が集結した新日本宗教団体連合会新宗連)の中心教団として活動を展開した。

杉並区あたりの環七沿いにそびえ立つ巨大な宗教施設。これも不思議だったのだ。そこには学校も併設されており、こういうところで学生生活を過ごすとどういう人間が形成されるのかなと考えていた。それが立正佼成会だったのだ。

神慈秀明会は、一時、街頭での布教で知られていた。

おお、あったあった。中学生時代によく駅で見かけたものだ。当時中学生だった私も「3分間のお祈りさせてくれませんか」とか言われたことがった。同級生が果敢にも良いですよと了解し、手かざしされてたけれど、周りは大爆笑していた。真剣に布教していた女性には気の毒なことをしたものだと今にして思う。あれは神慈秀明会という新宗教だったんだ。

世界真光文明教団崇教真光の場合、世界救世教、さらには大本の影響は、聖地の建設というところに示されている。

20年くらい前に家族で飛騨高山へ旅行に出かけた。巨大な宗教施設があり、ちょっと見に行ってみようかと歩いて目指したものの、随分近づいたかなと思ったら全く光景が変わっていなくって、結構遠くに建っていることと、そしてそれが途方もなく大きな施設であることが判明し、恐ろしくなったのを覚えている。結局、引き返してしまった。あれは崇教真光の聖地だったのだ。

ということで、本書を通じて、あれは新宗教だったんだなと、初めて気づいたり、なぞが解けたりすることがあった。

さて、ここからは全般的なことを挙げておこう。

新宗教の教団に信者として吸収されていったのは、産業構造の転換にともなって、第二次、あるいは第三次産業に従事する労働者として地方から都市に移ってきた新しい都市住民たちであった。(中略)都市に新たな人間関係のネットワークを築く上で、新宗教の信者になることは大いに役立った。

大企業に入れなかった地方からの移住者にとっての居場所となったのは新宗教だった。そういう気持ちになるのも分からなくはない。そもそも大きな会社は宗教みたいなものだったりする。子どもが成長し、物心がつかない頃から新宗教に触れていたことを知り、反発して出ていってしまうということもあるだろう。

よく「苦しいときの神頼み」といった言い方がされる。たしかに、人が宗教に頼るのは、悩みや苦しみを抱えているときである。だが、本当に苦しいときには、人は神頼みをしない。不況が長く続き、深刻化しているときには、豊かになれる見込みがないので、神仏に頼ったりはしない。むしろ、経済が好調で、豊かになれる見込みがあるときに、人は神仏に頼る。高度経済成長は、まさに神頼みが絶大な効力を発揮した時代だったのである。

非常に面白い指摘で、たしかにそうかもしれない。本当に苦しいときは神様に頼っている場合ではない。豊かになれるという希望があるとき、あるいは実際に豊かになったとき、そこに神秘性を見出すのかもしれない。

批判性を失い、日常化した新宗教が、どこまで信者の関心をつなぎとめておけるのか。それは、GLAだけの問題ではなく、新宗教全般にあてはまる課題である。

アラフォーの私にとって宗教と聞いてイメージするのは、オウム真理教であり、地下鉄サリン事件であり、やたらとテレビに露出した上祐氏であり、生放送中に殺された村井氏であり、選挙カーで名前を連呼していたあの歌であり、サティアン上九一色村だ。

多感な高校生の頃で、その高校は仏教系だった。卒業生の一人がオウム真理教の幹部となり、となりクラスの担任がその卒業生の元担任だったので、雑誌でインタビューされたりもした。

高校のカリキュラムに宗教の時間があり、ゴータマ・シッダールタ空海について学んだけれど、結局は、オウム真理教も同じ宗教であり、何やら怖く、危険なものという認識になった。

緩やかで心の平穏を与えてくれるような宗教は身近に存在している。他方でそれは別段宗教という枠組みでなければいけないというわけでもないように思う。宗教とは一体何かという根本的な疑問が沸き起こる。

とまあ、ここからは全く別のことを書いてみたい。本書を読んで真っ先に浮かんだことは、宗教ゲームって作れそうだし、面白そうということだ。

自由度が高く、教祖となって、特徴のある教団を作っていくというシステムもあるだろう。巨大施設を建てたり、学校を経営したり、海外展開したり、議員を送り込んだりして成長していく、ビジネスと類似した教団もあるだろう。あるいは、先鋭的な教義を掲げ、狂信者を生み出し、テロを引き起こし、自暴自棄的な破滅を誘う教団もあり。はたまた宇宙と交信したり、快楽に溺れたり、超能力や超常現象を見せかけたり、ストイックな修行に励んだりと、とにかく何でもござれというのも楽しそう。ただ、何をゴールとするか、かなぁ。寿命くらいしかないかなぁ。

あるいは、教団の一員となって、教団の発展のために身を捧げるというのも面白そう。こちらはアクションRPGでストーリーがある。主人公は信者獲得や教団維持のために日夜働く。教団内部にライバルがいたり、対立する他教団と抗争したり、分派しようとする幹部の企てを阻止したりして、信望を集め、頭角を現していく。

うーむ、ヒロインも必要だ。宗教を信じない、神の存在を認めない、バリバリのリアリストをヒロインにしてみよう。職業は銀行ウーマンあたりが良いかもしれない。そんな二人が企業融資と信者獲得でコンビを組む。しかし、教団は先鋭的な集団へと変貌し、主人公は悩む。教団の真の狙いとは、隠された教祖の秘密とは…みたいな。

どちらにしてもちょっとやってみたい。当然、島田裕巳さんに監修をお願いする。

と私のアイデアを妻に話したら、宗教に絡めると危ないからって、きっと開発してくれないとダメ出し。いやいや、龍が如くみたいなヤクザゲームがあるんだから、きっと大丈夫なはず。

とまあ、本書を読むと、それぞれの宗教の生まれた背景や教義に触れることができ、こういう妄想が捗る。宗教はヒトの本質に深く入り込んでいる。たまには宗教について考えてみるのも良いことだ。どこにも入信しないけどね。

↑↑↑

 

(感想文の感想など)

感想文を読み直すと宗教ゲーム構想を練っていて驚く。全然、覚えてない。

架空の宗教なら誰かに怒られたり、被害にあったりもないかな。その昔、教祖誕生って映画があったくらいだもんな。

感想文22-10:チューリング 情報時代のパイオニア

 

メアリー・アニングの冒険 恐竜学をひらいた女化石屋(感想文09-35)の感想文の感想で、本書の主人公であるアラン・チューリング(1912-1954)に言及していた。

改めて調べてみると、チューリングの紙幣は昨年2021年6月から流通しているようで、是非、イギリスに行ったら拝見してみたい。50ポンド紙幣なので、円安の現在、日本円で8000円強。保存用と考えたら、ちょっとお高い。

チューリングと同じ1912年生まれは、金日成糸川英夫ミルトン・フリードマン。糸川先生はそんなに前の時代の方だったのか。糸川先生についての本も読んでみたいな。

本書は戦争と謎めいた死によって、複雑に絡まったチューリングの人生を丁寧に紐解いてく。原著は2014年10月刊行とのことで、同年にチューリングが主人公である映画『イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密』が公開された年でもある。ちなみに本映画は、1983年の伝記『Alan Turing: The Enigma』が原作となっている。

死後半世紀近く経過した21世紀になって、ようやくイギリス政府は負の遺産を正視し、チューリングを正しく評価できる素地が醸成されるようになった。本書はチューリング復権に一役買ったのだろうか。あるいは復権しつつあったからこそ、出版に至れたのであろうか。

まず、訳者解説より引用しよう。

日本や世界各国のIT業界を含む多くの人々が、こうしたパソコンやネットはすべてアメリカでできたものだと信じ込んでいる。もちろん世界初とされる大型電子計算機ENIACペンシルバニア大学でフォン・ノイマンらのチームが作り、最初のパソコンであるアップルを作ったのはジョブズとウォズニアックの二人のスティーブだったし、インターネットは国防総省の出資で60年代に研究が始まったものだ。だが、もともと「そうした発明を可能にしたのは誰か?」という重要な問いが忘れ去られている、と本書は主張する。(p.399-400)

コンピュータ開発のはてしない物語(感想文21-25)によると、ENIACは1946年2月15日に完成した(厳密にはノイマンは関係しておらず、後継機のEDVACから参画)。

だが、同書によると同時期に、アメリカのABC(アタナソフ=ベリー・コンピュータ)が1942年に完成、イギリスのColossu(コロッサス)は1943年12月に完成、ドイツのZuse Z3(ツーゼ・ゼットスリーは1941年5月に完成と書かれている。

昔ながらのコンピュータ歴史家はチューリングのことに触れようともしなかった。しかしチューリングこそはその始祖なのだ。1936年のチューリングの万能マシンから、その後の代々のコンピュータに影響のあったEDVACの青写真ばかりか、コロッサスを通してニューマンのマンチェスターのコンピュータや、最初のパーソナル・コンピュータまで、真っ直ぐ続く道を描くことができるのだ。(p.196)

チューリングマシンと呼ばれる抽象機械のことで、その発想がノイマン型コンピュータへとつながり、現代のPCやスマホへとつながっていく。

車輪やアーチのように一般的になったすばらしいアイデアと同じく、プログラム内蔵方式の万能コンピュータというたった一つの発明だけで、チューリングはわれわれの生活を一変させてしまった。(p.6)

生活を一変させたという表現は、過言ではない。チューリングは人類の進歩に偉大過ぎる貢献を果たしたのだ。

しかし、その業績が貢献が正しく評価されることなくこの世を去ってしまう。

理由の一つが、戦争だ。数学者であるチューリングが暗号解読に従事し、結果的に戦争の終結を早め、多くの命を救った。

しかし、戦時に加速した計算機の利用が、アメリカではENIACの存在を公表し、技術を開放してビジネスに結び付けた一方で、イギリスは戦時機密として暗号解読のための計算機の存在を封印した。そのため、チューリング含め多くの人の研究は正当に評価されなかった。

科学者と戦争(感想文16-33)にあるように『軍の機密という理由だけで極めて厳しく不条理に監督される』ので、成果を公表できないし、当然、評価もされない。

さらにチューリングはゲイであったことを犯罪と見做され、強制的に薬物療法を受けさせられる。最終的にチューリングは若くして亡くなってしまい、一般的には死因は自殺とされているが、本書ではその点についても疑義を呈している。もちろん真相は不明だが、本書を読む限り、チューリングが自殺するような人物とは考えにくいのも確かだ。

本書はチューリングについて詳細に描かれた完全版と言っても良いのだが、如何せん難解である。数学的な意味での貢献も分かりにくい。数学の話になると、日本語の縦書きの本では原理的に無理がある。

軽くチューリングを知りたい方は映画「イミテーション・ゲーム」をお勧めする。

個人的にはようやく、コンピュータ開発の歴史におけるチューリングノイマンの関係性が理解できて、ちょっとすっきりしている。

感想文22-09:ボクの音楽武者修行

本書の著者であり、音楽武者修行をしたボクである主人公は、有名な指揮者である小澤征爾(1935-)さんだ。現在86歳で、同じ年生まれはエルヴィス・プレスリー大江健三郎畑正憲仰木彬美輪明宏筑紫哲也野村克也ダライ・ラマ14世堺屋太一赤塚不二夫など。

小澤征爾さんのお名前はよく存じ上げているし、息子の征悦(ゆきよし)さんは俳優で、ミュージシャンの小沢健二さんは甥にあたることも知っている。でも征爾さんがいかにすごい人なのかは本書を読むまで全く知らなかった。

本書の原著は1962年に出版され、私が読んだのは1980年に出版された文庫版だ。

まず、文庫版の解説から引用しよう。解説者は音楽プロデューサーであり小澤の親友でもある荻元晴彦さんだ。

『ボクの音楽武者修行』は、1961年、当時26歳だった小澤征爾によって書かれ、翌年音楽之友社から初版が刊行された。まことに比類のない、みずみずしい青春の書である。(p.208)

まだ26歳の若者である小澤征爾による冒険の記録と言ってよい。

スクーターを唯一の財産として神戸から貨物船に乗りこみ、マルセイユからパリまでたどりつき、フランス国内、アメリカ、ドイツ、そしてふたたびアメリカへと回って、いよいよ約2年半ぶりになつかしい日本へ帰ることになった。(p.196)

2か月かけて貨物船でヨーロッパに単独で渡り、スクーターでヨーロッパを移動してパリへ行き、事前にエントリーしてない国際指揮者コンクールに何とか参加させてもらい、予選で勝ち残り、優勝する。

さらに20世紀のクラシック音楽界の巨頭中の巨頭であるカラヤンに師事し、ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任して、2年半ぶりに日本に凱旋帰国を果たすまでの物語だ。

ルワンダ中央銀行総裁日記(感想文16-03)を思い出す。異世界転生モノかと思わんばかりのぶっ飛んだ無双ストーリーにたまげるが、1964年の東京オリンピックより前の時代に、こんな偉業を成し遂げた若者がいることにただただ驚かされる。

そのころは、この先きどうやって勉強しようかと、どのくらいヨーロッパにいられるだろうかなどという計画は皆無だった。どの先生に指揮を習うかということも考えていなかった。しかし音楽会に通っていると、音楽の道を選んで進んでいる自分が非常に幸福に感じられたし、またやり甲斐のある仕事にも思えた。<中略>ぼくは自然に音楽に親しむことができた。音楽を聞いていても、自分が指揮を専門にしていることなど忘れるくらい、音楽そのものに陶酔することができた。それがよかったと今でも思っている。(p.44)

コンクールで優勝して、才能を見出され、巨匠に弟子入りし、ポジションを獲得していくが、全くの無計画だった。指揮者のポジションを獲得することを目標にバックキャストしたわけではない。行き当たりばったりに、異国の地で目覚ましい成果を出し、引く手あまたの指揮者になっていく姿は圧巻としか言い様ない。

改めて文庫版の解説から引用しよう。

最後につけ加えたい。私は優しさが小澤征爾さんを理解する手がかりと買いた。<優しさ>とはまた当節若者の流行語ですらある。優しい人間はどこにもいる。だが小澤征爾アメリカ、ヨーロッパの真に実力だけが問われる音楽界という競争社会のなかで、その優しさを失わなかったばかりか、勁さ(つよさ)を兼ね備えて成長したことを読者は知らねばならない。(p.215)

実力だけが問われる競争社会で、結果を残し、成長した若者は、ただ優しいだけではなく、勁さをも兼ね備えた。敢えてこの漢字が用いられているのは、疾風勁草という四字熟語があるように、激しく勢いの強い風が吹くような苦境に立たされた時に、初めて強い人間がだれかわかる。

厳しい音楽界で、しかも海外で、それでも倒れることなく、存在感を示せる。逆に言えば、それだけ厳しい環境に身を置かなければ、本当の勁さは分からないとも言える。

本書では、辛かった話はあまり書かれておらず、気力の充実した若者が、異国の地で無双していく、清々しいまでの成功譚だ。

だが、凱旋帰国して、指揮者としてのキャリアをスタートしたのも束の間、「N響小澤事件」が勃発するのは、これからのお話しになるのだけれど。

ルワンダ中央銀行総裁日記

※2016年2月9日のYahoo!ブログを再掲

 

↓↓↓

本書の初版は1972年。ということで私が生まれる前に書かれた本であり、ずいぶん昔のことだ。しかし、タイトルがなかなかにインパクトが強い。

アフリカ中央の小国ルワンダ中央銀行総裁として勤めた6年間の記録である。

ということで、著者の服部正也(1918-1999)さんが、日本人としてルワンダ中央銀行総裁として働いた経験を本人が描いている。ウィキペディアによると、服部さんは『日本の銀行家、実業家。日本人初の世界銀行副総裁』とのこと。同じ年生まれは、田中角栄ファインマン中曽根康弘ネルソン・マンデラ福井謙一いわさきちひろ

さて、ルワンダのこと。クライシス・キャラバン―紛争地における人道援助の真実(感想文14-13)でも出てきたが、ツチ族フツ族の血みどろの抗争がある。ルワンダ大虐殺と呼ばれるが、服部さんが中銀総裁として働いた1965~1971年はわりと平和だった。

ルワンダそれ自体外国にとってなに一つ魅力はなく、ただ各国の利己的な国際政治上の理由から関心をもたれ、援助されているのである。もしコンゴの内乱が鎮定されて統一が実現し、東のおさえの必要がなくなれば、また、今後米国の国際政策に変更があれば、ルワンダに対する各国の関心は薄れ、援助はたちまち打ち切られることになるだろう。

とあるようにルワンダはこの当時は平和だったが、'''隣国のコンゴの内乱に対応するためにルワンダは生かされている状況'''だった。既にこの当時から援助は、国際政治上の理由でなされており、経済的に発展させるために行われていたのではない。

そして、本書で写真が掲載されているが、とにかく1961年のルワンダは全くの別世界。小さく貧しく多くの問題を抱える国の経済を再建するという、途方もない難事業を、一人の日本人が実行する。どこかで『異世界に飛ばされて活躍するラノベのような設定』と書かれていたのも頷ける。しかし、ラノベと違って萌え要素はない。でも、マンガ化したらさぞ面白いことだろう。

本書では、服部さんの現地での苦労やカルチャーショックやタフな交渉が描かれているが、これは是非、実際に読んで頂きたい。この感想文では服部さんの個人の考えや信念を抜き出しておこう。

私は、過去は将来の準備以外に意味はなく、過去を語るようになったら、それは将来への意欲を失った時だ、と考えている。

こうやってすっきり言い切ってくれる。過去は将来の準備以外に意味はない。大事な言葉だ。

私は甘えと、甘やかすことほど世界を毒するものはないと思っている。しかし最近の傾向は人間的という美名で甘えと甘やかしが横行し、人間生活に必要な規律と義務が軽視され、そのため社会が乱れている。

これが1972年のことをなのだから、今の日本を見れば服部さんはさらに嘆くのだろうか。息子たちをもう少し厳しく育てようか。

離婚率という、いわば不幸指数の高いことで婦人解放度を測定する評論家のいる国からきている私は、ストライキ数で民主主義の高さを計る彼らを笑うことはできない

彼らとはルワンダから海外の大学に留学しているエリートたちのこと。こういう切れ味の鋭い皮肉が既に70年代に語られていることに驚きだ。

自信を失ったら政治家はおしまいである。予算編成権を失った大蔵大臣は無力である。

勝手ながら、人事権のない上司は無力である、というのも付け加えたい。

私は戦に勝つのは兵の強さであり、戦に負けるのは将の弱さであると固く信じている。(中略)どんなに役人が非効率でも、どんなに外国人が無能でも、国民に働きさえあれば必ず発展できると信じ、その前提でルワンダ人農民とルワンダ人商人の自発的努力を動員することを中心に経済再建計画をたて、これを実行したのである。(中略)途上国の発展を阻む最大の障害は人の問題であるが、その発展の最大の要素もまた人なのである。

服部さんが考えたルワンダの経済再建計画の基本方針は、

ルワンダでは工業化による経済発展などという、途上国の多くでとられている性急な政策をとる必要はなく、まず農業中心で農民の繁栄をはかればよいのである。

であった。国民の幸福が大事であり、現場を見て、現地の人と交流し、多くの意見を聞いて、基本方針を定めた。様々な困難がありながらも、ルワンダの発展の道筋をつけていく働きぶりに感嘆する。

40年以上も前にこうした大事業を成し遂げた日本人がいることに驚き、そして本書を読めばこれが本当に40年以上も前に書かれた本なのかというほどの読みやすさにもう一度驚くことだろう。

↑↑↑

 

(感想文の感想など)

改めてルワンダの今を整理しておきたい。

面積は2.63万平方キロメートルで四国(1.88)よりも大きく九州(3.56)よりも小さい。意外と小国なんだな。

外務省HPによると、

www.mofa.go.jp

カガメ大統領は汚職対策に力を入れており、汚職の少なさは、治安の良さとともに、良好なビジネス環境を提供している。なお、ルワンダは女性が国会議員に占める割合が61.3%で世界一(2021年1月現在、IPU)。下院議長の要職を女性が占め、女性閣僚の割合は約52%(2021年3月現在)と、女性の社会進出が進んでいる。

とのこと。1994年4~7月のルワンダ大虐殺で約100万人が殺された地獄絵図の状況からは、ずいぶん良くなったようだ。外務省の危険情報でも、危険度はレベル1「十分注意してください」となっており、2022年6月現在、ルワンダは比較的安全な国と言える。

知らんかった。まだ危険な国だとばかり思っていた。アップデートしておこう。